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さあ、水道の蛇口を開け。

2025年6月のぼやき。

2025年6月のぼやきです。

つばな先生の作品は『第七女子会彷徨』『見かけの二重星』『バベルの図書館』『惑星クローゼット』を所有していますが、どれもバツグンに面白いです。かわいい女子たちの溌剌とした言動とグロテスクなほどにディープなSF要素・ファンタジー要素が絡み合って、不気味で魅力的な世界を構築しております。kindleだと読み放題対象になっていることもあるので、気になる方は是非。

 

コンテンツリーグからリリースされた作品から、芸人ごとに選りすぐりのネタをまとめてリリースするシリーズ“ベストネタシリーズ”の新作が配信されたことを受けて。芸人がベストライブを開催するときは、そのチョイスに芸人や作家の意志が反映されていることが多く、そこにベスト盤としての価値が発生していると思っているのですが、どうもこのシリーズは選び手の顔が見えづらくて、そこで損している気がしてしまいます(CDでいうところの“ゴールデン☆ベスト”みたいな)。

 

『青春ゾンビ』というブログを運営されているヒコ氏の文章について。本来、文章を書くということは、氏のように華麗に振る舞うべきだと思ってはいるのですが、どうも性根がクソ真面目だからなのか、思ったことをすべて文章にぶちまけてやろうという独善性を剥き出しにしてしまいます。それもまた私の長所なのかもしれない、という勘違いを抱えながら生きていくしかありません。……ありません、ということはないですね。

 

ここでいう「分からない人にはマジで分からない感覚」というのは、ただただ「スターは敬称略」のニュアンスを理解できないというだけでは終わらずに、どんなに説明されても「人のことを“さん付け”しないのは失礼!」という確固たる意志の元に他人を糾弾してくる人のことを指します。どう考えても、何の関係性もない赤の他人に説教をぶち込んでくるような人間の方が失礼です。

 

YouTubeのショート動画で気になった映画を調べまくった結果。聞くところによると、映画を紹介するショート動画に作品のタイトルを付けるとプロモーション扱いになって不都合があるらしいのですが、結果的に「タイトルもなにも分からない映画の部分的な情報だけを見させられる」という状態になるわけで、なかなかこれは見ている側にしてみれば厄介ですね。

 

朝ドラ『あんぱん』を見ていて、ふと漏れた感想。以前、やなせたかしをモチーフとしたキャラクターに、主人公が「戦地で頑張っている兵隊さんに申し訳ないと思わないのか!」という旨の発言をしていたときにも、「今後、彼だって戦地に赴かなくちゃならないかもしれないのに、なんでこんなこと言えるんだ?こいつはアホなのか?」と思ったものです。

 

個人的に演劇のソフト化における最大のネックは価格にあると思っております。また、その価格に見合った内容を楽しめるのか、一般のユーザーにはなかなか伝わりにくいことも、少なからず影響しているのではないかと思っています。逆にいえば、舞台の映像を観るきっかけを作ることが出来れば、もうちょっと売り上げが伸びるのではないかとも思います。ちなみに、私がヨーロッパ企画の舞台を鑑賞するようになったきっかけは、映画『サマータイムマシンブルース』がソフト化された際に、原作となる公演がポニーキャニオンでソフト化からだったりします。

 

愛する我が子が世間から受け入れられていることを知った親が、これでもかとおめかししてあげているような感覚を覚えました。それで、こんな素晴らしい作品群を送り出してくれるのならば、もっともっと図に乗ってほしいですね。

 

林原めぐみのブログが炎上した件について。こういうシチュエーションになると、批判の相手に対して、感情的になって何が良くないのかを説明しないままに我が子を責め立てる親みたいな態度を取る人が多いようなイメージがあります。無知を相手にしているのに、無知そのものを責めたところで、何も解決しませんですす。

 

SNSと批評の相性の悪さについて。一人一人が批評のつもりで投げかけていることでも、それが集合体になると「炎上」という括りになってしまうのであれば、もはやSNSは批評をするための場に相応しくないのではないか、と。その意味では、発信者と読者の関係性がくっきり切り分けられていたブログ文化の方が、塩梅としては丁度良かったのかもしれません。

 

結局、“評論家”“批評家”という肩書を名乗っている人の方が、名乗ったうえで発言しているから立派じゃないか?という話です。今の私はお笑い評論家を名乗っていないので、別に自分のことをどうのこうのしたくて言っているわけではないです。いや本当に。

 

先の林原めぐみのブログ炎上について、追加で思ったこと。海外の人は自分たちとは異なる存在である、という考え方は割と世界の共通認識として存在していそうです。それを実感する機会がとうとうやってきたのかな、と。逆にいえば、これまでどれほど対岸の火事として見つめていたのか、ということでもあります。

 

中川翔子のSwitch2の件について。最終的に「箕輪厚介の発言はなんだったんだ」というところに落ち着きましたけれど、それってつまり炎上を収束させたということなんですよね。……そこまで見越した上での発言だったんじゃないか、と今となっては思います。苛烈な炎上を収束させるのは理解不能な状況作り。ていうか、根本的な疑問なんですけど、そんなに早急に欲しいものなんですかね、ゲーム機って。

 

参政党の議員が所ジョージとのツーショット写真をネット上に公開し、「所ジョージは参政党の支持者だった!?」とざわめきたった数ヶ月後、所のファンを名乗るアカウントが「そんなわけないじゃん」と主張し、一転して参政党の議員に対する批判が持ち上がっている状況を見て。マジで羊みたいな動き方をしますよね、主体性とかないんでしょうか。ただ正直、今の時点でもどっちに転がるか分からない話ではあるな、と個人的には思っています。「やっぱり支持者だったんじゃん!」みたいなことも全然有り得るだろうと。

 

「それはそれでお前のエゴだろ」と言われるかもしれませんが、そんな一言で片付けられるような状況ではないだろう、とも思います。事件は現場で起きてんねんで。

 

VTuber月ノ美兎が動画で訪れた秘宝館の館長と揉め事を起こしてしまった件の収束について。この辺のことは、どん兵衛CMが炎上していたときの、料理研究家リュウジの動画を見たときにも感じました。ケツに根っこが生えている口だけ達者なネットユーザーでは絶対に勝てないような動き。このことについて、もっと私たちは真面目に考えなくてはならないような気がします。

 

とある映画を観に行ったときに、戦艦を舞台にした映画の予告編が流れていたのを見かけて。戦争とロマンは相性が良いのでしょうけれど、そのロマンが現実を汚染し始めている昨今を思うと、そういうのをフィクションとして楽しむのはちょっと能天気すぎるような気がしないでもありません。

 

最近の政治についての話を見かけるたびに思うこと。これもロマンどうのこうのいう話と直結するところではあります。

 

とある漫画を目にして。そもそもお前らは田舎の人間をどれだけ理解しようとしてきたのか。結局、都会で暮らしている人間が、自分たちの思想を描くために、ラベリングされた田舎を都合良く利用しているだけじゃないかなって思います。矢口高雄作品を千回読んで出直せ。

 

どちらもテレビから発信されていることの違和感について。

 

シンプルな疑問。どうしてあんな構図になったのか?

 

自分と関わりの薄い差別描写については、実際に存在する差別なのかどうか考えてしまうことがあります。本当に主人公に共感してしまっていいのだろうか、そういう人は実在するのだろうか、共感することによって別のヘイトを生み出す可能性もあるのではないか、と。その違和感を消すために、どうしてもそういう作品はリアルに描かざるを得ないのが現状、なのかもしれませんね。

 

自分の行きたい道を行くしかない、という話。

 

あと、こういう主張をしている人って、「昔は好きだった」みたいに話されていることが多いんですけど、つまりそれは当時の自分は「下品な男性に迎合する笑いをエンターテインメントとして純粋に楽しんでいた」ということになるわけですが、その当時の自身の心境についてはどうだったんだろうなって思わなくもないです。それにしても、こういう話題って、芸人としての変遷についてはあんまり触れられないのが、個人的にはけっこう引っ掛かりますね。それこそ大久保さんなんて、当時のバラエティ好きな人だったら、その変化を目の当たりにしていただろうと思うのですが。

 

『ロンドンハーツ』においてロンドンブーツ1号2号の解散が発表された件について。

 

『有吉の壁』の特番において、インポッシブル・蛭ちゃんの結婚披露パーティーを模した企画が放送されているのを見て。日本テレビのゴールデンタイムでこういう企画が通ったことに、私たちはちゃんと驚くべきです。インポッシブルの人徳もあるのでしょうが、それにしても。

 

見るつもりのなかった『ダウンタウンDX』最終回を見てしまった件について。本当に変なことをやり続けたまま終わってしまいました。それでいいのか。

 

彼氏のアレをイライラ棒ということにして、うっかり障害物に触れてしまったら、彼女のナニに装着されたモノが作動する……みたいな内容でした。アナログすぎる!

 

以前は「それでもフォローを外してくれていないありがたさ」を感じていましたが、最近は闇に向かってポストしているような感覚になってしまって、ちょっと空しさを感じ始めています。私の声は届いていますか?

 

中山功太の『対義語』をフジモンがパクッていたのではないか、という話に対する一部のお笑いファンの反応を見て。基本的にパクりパクられの話は当人同士の問題でしかないので、外野がいちいち口を挟む余地はありません。

 

こちらからは以上です。気付けば上半期も終わりです。