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また性懲りもなく瓶蓋ジャムを買い求める

2025年10月のぼやき

10月は地元のお祭りとキングオブコントがあったので、ちょっと控えめですが、それでもそこそこにぼやいていました。

キングオブコント2025』準決勝において、とあるコンビが『キングオブコント2023』準決勝で披露したネタ二本を演じていたことに対し、「興覚め」「受かる気ない」「時間とお金の無駄」と言及したお笑いファンのポストに関する質問を受け、二本とも同じネタをやったとは知らなかったために「同じネタでも演じる時期の演者の年齢や状態によって良さが変化することもあるので、別に問題ない」と回答したのですが、後になって事実を知ったときのポストです。二本とも同じネタで挑んだというのは流石にちょっと引っかかります……けど、「時間とお金の無駄」は言い過ぎですよね。

 

2025年9月27日放送回です。

 

声優の内田真礼石川界人が結婚した件について、本人たちや同業者や出演したアニメのアカウントに対して、デリカシーのないコメントを送っている人たちを目にして。他の芸能ジャンルに比べて、演者に対する敬意の欠けている人が多いのでしょうか。それとも単にそういった人たちが目立っているだけなのでしょうか。

 

2025年10月1日に放送された『水曜日のダウンタウン』において行われた企画「みんなの説SP」より、「コウメ太夫、手の甲に自分が書いたものではないネタのカンペが書かれていても、もう別になんでもいいのでそのままネタやっちゃう説」を見て。

 

発想は決して斬新とはいえないし、そこから意外性のある展開を見せてくれるわけでもないのに、鑑賞後にはしっかりと「コントを見た!」という満足感を残してくれるところに、地肩の強さを感じています。どっかのタイミングでバカ売れする可能性を秘めているのではないかと思っています。これだからタイタンはやめられない。

 

真理です。

 

「ネットの人格は自分自身とは無関係な別人格」として切り分けている人が一定数存在しているのではないか、という疑念です。それは別人格などではなくて、根っこでは自分自身としっかり繋がっているんだぞ、と認めることがネットで他者とコミュニケーションを取る上で大事なことなのではないでしょうか。

 

あと、当時のまとめ記事に「重大な問題も「頻出ツイート」としてまとめられることで、問題が矮小化されてしまうのではないか」という指摘も見受けられましたが、同じ問題が頻出として取り上げられるということは、取り上げられても解決する方向に向かっていない(=解決するまでもない矮小な問題として認識されてしまっている)ということなのではないか?と思わなくもないです。

 

奈良公園の件について。

 

身内の事故死を茶化すような質問を匿名で受け取った件について。

 

経験談です。平常な人生を送っている人間が、その常識的な物差しを使って、異常事態に陥って錯乱している他人のことを測ろうとすることの傲慢さについて、もっと理解を深めた方が良いです。そもそも測るな。

 

身内を亡くした人間の心境について言葉にしようとしたときに、気付いてしまったことです。

 

江口寿史の炎上に関するアレコレです。江口氏の行為や発言は批判されても仕方がないレベルのものではありましたが、今回の炎上では江口氏の才能や過去の仕事まで否定しているものが多く見受けられ、これ以前の炎上よりも更に悪い方向へと進化を遂げているように感じられました。教育的指導の名の元に生徒へ殴る蹴るの暴行を加える昭和の理不尽な教師みたいになってきましたね。

 

炎上についてのひとつの結論です。

 

とりあえず、そういうことは被害者が透明化されたなーって状態になったときに批判すればいいだけの話なので、「透明化するつもりだろ!」と決めつけて物申す姿勢は違うんじゃないかって気がします。

 

特定の菓子パンが、子どもの面倒を見るのが難しい母子家庭・父子家庭においてよく食べられるイメージから「片親パン」と呼ばれるようになっていた件について。そもそもこの言葉を生み出した人自身がそういう家庭で育ったらしく、この言葉も自虐的なニュアンスで発明されたようです。ネットで自虐的なワードをクリエイティブすると、いつかそういった人たちのことをカテゴライズするための拷問器具として扱われるようになるので、あんまりそういうことはやるべきではない……って話は、割と何年も言い続けているつもりなんですが。

 

ぶっちゃけた話、女性声優に処女性を求める人の話と同じ匂いがします。

 

「すべての炎上は害悪」と主張する根拠です。

 

高市総裁の記者会見場において、とある記者が「支持率下げてやる」と発言した声が放送に載ってしまった件について。記者の態度そのものもさることながら、そんな記者のことを大々的に批判できない自浄効果を持たないマスコミの姿勢もなにやらみっともないです。やっぱりメディアで最もコンプライアンスが危ういのは報道なんじゃないですかね。

 

一昔前の流行語を巧みに操る魔女「ウィッチ」って、今の時代ならもっとブレイクしたんじゃないかという気がして、ポロッとこぼれたつぶやきです。おいっす!

 

他人のふり見て我がふりを直していないような。

 

結局、根っこにあるのは、すべての性的な行為をタブー視する傾向にあるんじゃないかって思うんですよね。とりあえずモザイクを外すところから始めた方がいいんじゃないですか。そこを隠して隙を作ってしまうから、AVのファンタジー化が加速しているともいえるんじゃないですかね。

 

マシンガンズ滝沢氏のあれやこれやを見て。

 

キングオブコント2025』決勝でのロングコートダディのネタをテーマにしたファンイラストを見て、再認識させられたこと。

 

漫画家のせきやてつじ氏がエバースの漫才に対して言及しているポストを目にして。これを受けて「エバースの漫才はこう見るべき」と主張するお笑いファンのポストをいくつか見かけたのだが、ちょっと都合の良すぎる見解を示しているものが多く、ちょっと目に余るものがあった。的外れな批判には真っ向からぶつかるべきだとは思うが、それなりに道理の通っている主張については、受け入れるべきところは甘んじて受け入れるべきである。そんな態度だから今のお笑いは閉鎖的だのなんだの言われんだよ、しょうもねえ。

 

自分が良いと思っているものを嫌っている人は必ず存在しているし、自分の抱いている思想と反する思想を持っている人も必ず存在するので、そんな人たちの目に届く広大なインターネット上でどんなにポジティブな発信をしたところで、なんぞかんぞ言ってくるマナーのない連中は寄ってくるんだよな……と思いながら。

 

いつか見た光景です。学べよ、歴史から。

 

35歳の大人が初めて「ごんぎつね」を読んだらどうなるのか?』という記事に対して、そういうコメントが寄せられているのを見かけて。今、改めてコメントを見返してみると、どちらかというと「本を読めない大人に本を読ませて感想を聞いてみる」というテーマを商売に繋げていることへの不快感を露わにしたものだった模様。それだとちょっと気持ちは分からなくもない。素朴な人間的素質を金銭に変えることは、なんともいえない危うさを孕んでいる気がしないでもない。でも、だからこそ、多くの人に氏の感性の魅力が伝えられているわけで……うーん……。

 

有料配信サービス『ダウンタウンプラス』で提供される企画について、ざっくりと確認した上での感想です。ある一定の方向性における「芸人が最も面白くて魅力的に見える切り口」を提示する企画力の高さという意味では、松本人志はまだまだとんでもないなと再認識させられました。それだけお笑いが好きだということの証明になっていると言ってしまってもいいのかもしれません。見るかどうかは分からないけど。

 

またしても鬼籍に入った身内の死因に関する質問を受けて。「これについての質問は精神的に辛くなるので受け付けません」「専門家ではないので症状に関する質問は受け付けません」と対応しているにもかかわらず、しつこく送り付けてこられるので、もう私は質問者を「私に明確な敵意を持つ人物」と認定することにしました。そんな人に対してまともに付き合う理由はありません。ただ、私を揶揄うためだけにその症状を利用するということは、今もなお同様の症状で苦しんでいる人たちの存在を軽んじることと同義だということにも気付けないような人間としての薄っぺらさに、むしろ同情します。赤の他人を揶揄する前に、ご自身の人生をちゃんと見直してみては。

 

ちょっと意味が分からない仕様について。『週刊!しゃべレーザー』『こたけ正義感の「聞けば無罪」』などのように、ラジオで放送された音源がそのまま転用されているタイプのポッドキャスト番組は他にも聴いていますが、こんなことは一度もありませんでした。ポッドキャストの利点を潰してませんか。

 

飛石連休藤井ペイジが「ダウンタウンチャンネル楽しみやし、嫌な人は見なけりゃいい有料チャンネルやからネットも穏やかになるやろうと安心してたら「自分の好きな芸人にそこに関わって欲しくない」層が主張しだしたぞ」「性加害がどうの言うとるけど、結局週刊誌が書いてた「加害」はひとつも証明されてないはずやねんけどなあ」(本文ママ)というポストを投稿したのに対し、「証拠を握りつぶぜは、あんたの家が放火されても証明されずに済むだろうしね」という脅迫めいたリプを送り付けた人物がいたことを受けて。藤井氏の批判者を煽るようなポストも良くないですが、相手の存在を脅かすような反論はすべきではありません。それにしても、他の加害を批判している一定数の人が、自身も加害性の強い言葉を用いているのは何故なのでしょうか。……これまで被害者としての立場を取らざるを得ない人生を歩んできたからなのかな、と勝手な妄想をしてしまいます。余計なお世話。

 

他人の足を引っ張る自分を正当化することも、そんなダーティなスタンスを敢えて取っているんだと自覚して開き直ることも、なるべくやりたくないものです。

 

これと同じタイミングで「自分の生活圏にクマが出没するようになったとき、クマの駆除にクレームを入れていた人たちはどう対応するのだろう?」ということも思いました。これは現実的に起こりそうですね。……どうなるのか楽しみですね(良くない)。

 

今年の石破氏に対する評価の二転三転ぶりを見ていると、マジでそうだなと思います。

 

『100ワニ』については、公開直後にダ・ヴィンチ・恐山が自身のYouTubeチャンネルで『100ワニ』をバカにしてもいい風潮が映画に対する評価を曇らせていることについて激怒していた動画を見たおかげで、このネットのノリに乗らずに済んだところもあります。その意味では、ちゃんと怒るべきところで怒るのは大事なことなんだな、と。

 

こういう時に発動されるオタクの上澄みみたいなノリ、けっこうダルいです。

 

実のところ、これに関しては、Twitterよりもはてなブックマークのコメントを読んでいるときに感じることが多いです。「そのお前の誰のためにもならないコメントは何のために書き込んだの?」と。批判的なスタンスを提示するだけで中身が伴っていない、本当に空っぽなだけのコメント。マジでなんなんですかねアレ。

 

上のぼやきの亜種。否定するだけで否定の理由を書かない人たち。反論に反論されることを恐れて何も書けないのか、ただ何か言いたいけれど言語化できないだけなのか。

 

どうして恥ずかしいと感じているのかというと、この手法が「読者から共感を得る」以上の役割を果たさないからです。また、批判は批判でのみ完結すべきで、それを読んだ読者がどのように感じるかは読者の自由であるはずなのに、不必要に感情に訴えかけることで読後の印象を誘導しようと目論んでいるところに、書き手の傲慢を感じるからです。肝心の内容だけで成立させるところに批評者は矜持を感じてほしいと思います。

 

今月は以上です。