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さあ、水道の蛇口を開け。

2026年4月のぼやき。

桜が咲き乱れている並木道を歩きながら、ぼやいていました。

やす子のエイプリルフールネタを受けた「これをつまらないって言ったらいけないのおかしいだろ」という旨のつぶやきを見かけて。なんでお前の個人的な感想をどうしても相手に伝えたいんだよ。

 

「星野源とオモコロが町内の掲示板に広告を出したときに、町内の掲示板という存在が資本主義に侵されてはならない神聖な領域みたいに再定義され始めておもしろかった」「あれから一年、もう誰も町内の掲示板の話なんてしていない」というポストに対して「今は町内の掲示板の話題が出ていないから、その話をしていないだけ。論点をズラしている」という批判を見かけて。そこまでみんな真剣に考えていないんじゃないかしらんね、という疑念があります。

 

VTuberというカテゴリー全般を異常に嫌う人たちについての考察。

 

大人になったちびまる子ちゃんが「プレモル子ちゃん」として登場するプレミアム・モルツのCMにおいて、白石麻衣がプレミアムなみぎわさんとして登場するというニュースを見かけて。微塵も面白くない。

 

自分で自分の機嫌を取れず、かといって他人に頼ることが出来ない人が、その感情を周囲の見知らぬ人たちにぶつけちゃっているのではないか?という気もします。その意味でも、やっぱり自分の機嫌は自分で取るようにした方が良いです。

 

劇作家でミュージシャンのケラリーノ・サンドロヴィッチ氏が「公演中に携帯が鳴ったらしい」「私と緒川さんが(他のキャストスタッフや、もちろんお客さんもですが)どれだけショックが尾を引くものか、鳴らした人は考えてほしい」とつぶやいたところ、引用RPで「携帯が鳴るのが悪なのは分かるし、そこは完全同意なんだけど、それでケラ夫妻がショックを受けた、は何が言いたいの、って感じ」と反応する人が現れたのを見かけて。当人は神田伯山先生のポストを引用して「他のお客様に迷惑、だけでいい。作り手側がショックで凹むとは言わないでいい」と主張されているが、クリエイターの個人的感情を見せるなと押し付けてくる様は、先日のウサギのイラストレーターに対して一部ファンが詰め寄っていた件を彷彿とさせて、おっかない。

 

自分たちは匿名である時点でどうとでも逃げられる立場にあるということをもっと自覚しろ、という話。

 

「伊集院光の弟子になりたい」と主張しているアカウントが“三遊亭”の屋号を名乗っているのを目にして。落語家の師匠と弟子の関係性の重みを知っていたら、たとえ素人とはいえ、そんなことはなかなか出来ないと思うのですが。……というか、伊集院が落語家を辞めて三遊亭を名乗っていないのに、その弟子になりたいという人間が三遊亭を名乗っているという構図なわけで、これはとてつもなく不気味だ。どうしてそんなことになったんだ。

 

作品内で明確に表現不足な点があった場合は、その不足点のみを指摘すべきであって、不用意に作者のプロフィールに寄り添うような形でフォローする言葉を入れようとすると、なにやら大変にキモいニュアンスになってしまうことが分かりました(相手が若い女性作家っていうのが大きいのでしょうが)。単なる作家と読者の関係性でそんなに距離を詰める必要性はないのだ。

 

「M-1ライブツアーの楽屋でネタ時間を大幅に延ばした豆鉄砲のホセがエバースの町田に詰められてブチギレていた」という楽屋トークに対して本気で怒っている人たちが現れたのですが、それを受けて「真空ジェシカのように大幅に時間を延ばしがちな芸人にも同じことが言えるのか?」とホセを擁護する声があったのに対し「実力と実績があるコンビと一緒にするな」という反論を見かけて。

 

これに関連して、「東京に出ても関西弁を使い続ける関西出身者」みたいな話を聞くたびに、「東京弁を標準語に淘汰された軟弱モンが何を偉そうに」と思っています。愛国心よりも先に郷土愛を持てよ。

 

過去に一度、とあるお店でやらかしたことがあります。ただ、確証が持てなかったため、結局泣き寝入りすることになりました。厳しい。

 

エアコン完備、トイレと洗い場と喫煙所あり、長めのソファありと、かなり完成度の高い休憩スペースでした。それでいてパンフレット的な読み物が一切置かれていないというのが、また素晴らしい。

 

このつぶやきの時点では“中年男性”に限定してしまいましたが、女性も同じだと思います。みんな心のどこかで「ボク、赤ちゃんだもん!」と叫びたいのではないかしらんね。皆で赤ちゃんVTuberになろうよ。

 

最近、よく見かけるようになりました。皆が伊集院光に影響されてスナック感覚でブロックしまくっているのかもしれません。皆が伊集院ほど自分に軸のある人間だとは思えませんが。エコチェンの壺の中でヌクヌクと生きやがれ。

 

あまりにもとり・みき氏のつぶやきが我が意を射たりすぎたために、とてつもない興奮状態に陥っています。そんな基本的なことも分かってないし、こちらが説明しても理解できなさそうな人に限って、こちらに偉そうに指摘してくることが少なくないので。また、そういう人ほど日本語の使い方がヘタクソだから、読み解くのに苦労させられるんだよなあ……(遠い目)。

 

例えば、「粗品が相手をディスるときは、相手からのリアクションを期待している(やり合うことで業界全体が盛り上がっていくことを狙っている)」のは火を見るよりも明らかなのに、そんなことも分からずに「粗品の言うとおりだ!」と的外れなイエスマンになってしまっている人がけっこう多いように思います(ちなみに「なんで粗品みたいなヤツにそんなこと言われないといけないんだ!」と相手側のファンが怒るのは仕方がないことだと思います。その人たちは別に粗品のファンではないので)。

 

おそらくは仕様なのでどうしようもないのでしょうけれど、地味に厄介。

 

何故か千鳥の番組でそういう視点を見かけることが多いイメージがあります。千鳥のそういう批評的な側面についてはけっこう以前から気になっていたところで、またそれをオモシロの形で発信できるからおっかないんですよね。で、おそらく蓮見が言うところの「お笑い流行ってない」というのは、そんな千鳥の発信に共感できる層は貴方がたが想定しているよりも多くないですよ、的なニュアンスも含まれているのではないか、と思っています。個人的に。

 

聴き直したら、本当にまったくそういう話をしていなかったので、かなりビックリしました。脳内で組み立てた方程式で勝手に繋げてしまったのかもしれません。

 

むしろ腐った結果が昨今の政治状況なんじゃないかしら、とも思ったり。

 

「じゃあファンは反論せずに殴られっぱなしで途方に暮れろってことですか?」と思います。とはいえ、流れ星の瀧上さんがファンとそんな感じになったときは、瀧上さんがボッコボコにされていたので、周囲の共感を得られるかどうかっていうのも大きいのでしょう。面倒臭ぇなあ。

 

もっとも、そういうノリって中学高校ぐらいで卒業した方が良いです。大人になったら、否応にも世界や社会と接続しないといけないので。

 

フジファブリックの『若者のすべて』がゼロ年代を代表する楽曲のようにもてはやされているのを目にするたびに、そんなことを考えてしまいます。当時のチャート最高位が30位だったことからも分かるように、世間的にはまったく知られてませんでしたよ。でも、良い曲がちゃんとフックアップされること自体は、良いことです。

 

「イラストレーター界隈では納期を遅らせれば遅らせるほど偉いという理解不能な風潮があるらしい」というつぶやきを見かけて。一応、イラストも芸術の範疇にあるジャンルなので、商業主義的なところに対するアンチテーゼなのかもしれないな、と思いました。あと締切を破るタイプの作家が持ち上げられすぎているっていうのもあるのかもしれません。破天荒アピール的な。

 

インターネットで匿名性を利用して誹謗中傷をしている人たちを見るたびに抱いていた違和感の言語化です。あと、匿名性を利用した誹謗中傷は、基本的に薄い印象があります。自分の素性を明かす必要性がない分だけ、適当に片手間にやっているのかもしれません。むしろそうして手を抜いたコメントの方が、相手にとっては不快だったりするので、良いのでしょうね。最低な技術だな。

 

たまにはこういうことをバカみたいな顔で言っておかないといけないような気がします。いつの間にか腫物みたいな扱いになってる気がするんですけど、マジでどうなってるんですか。

 

そもそも赤の他人のつぶやきにクソリプを送り付けるという行為自体がクソであるという自覚がないところが危ういですね。どんなクソみたいなつぶやきも、お前がやっていることよりはマシ。

 

また分かりやすく青バッジ率が高いです。

 

そもそも愛国心って考え方自体が意外と若いような気がしてきました。

 

『生活マン』のとあるエピソードで、主要キャラクターの一人を殴ったチンピラが「弱~」とつぶやいている姿を目にして、ふと思ったこと。このタイプの人たちが暴力を振りかざせるのは、「暴力は良くない」という先人たちの思想を引き継いで守っている人たちが過半数だから(そのため急な暴力に対して受け身を取れない)であって、暴力に対して暴力で返すのが一般的な社会だったら、そういった人たちも暴力の基本的スキルを向上させているわけで、こんなチンピラはむしろ淘汰されているのでは?

 

いしいひさいちが『サザエさん』を評価していない、という話が取り上げられているのを見かけて。そもそも、時にアヴァンギャルドな作風で読者を困惑させるいしい氏の作風を思うと、『サザエさん』のような作品とは相性が良くないだろうということは読み解けそうなものですが。

 

以前、マツコ・デラックスが東京のことを「病気の人は一生病気でいられる街」と評していましたが、それと同じような空気がXにも漂っているような気がします。病気維持装置としてのSNS。

 

『REQ JAM【金曜】カミナリ』にて、たくみくんが自身のYouTubeチャンネルのテロップを手掛けているスタッフに対する苦言として言っていました。この後、ピン芸人の寺田寛明がYouTubeで公開した『すいません』というネタに対するコメントを目にして、ちょっと気持ちが引くことになります。

 

なんでもかんでも「〇〇ハラ」と表現することに対して苦言を呈している人を見かけて。つぶやきの中で触れている東京ポッド許可局の回は「言語化論」でした。

 

カギカッコをつけた「国際化」のやらのために、自らの武器である手札を捨てているように見えてしまいます。その上で得られる利益についても気になります。

 

もっと驚くべき事案だと思うのですが。

 

マジで「茶の間でテレビを見ながらごちゃごちゃ文句を言っている中年」のノリをそのまま持ち込んでいるだけなのかもしれません。……だとすれば、そんな自分の見られ方を自覚してもらいたいところですが、無理なのかなあ。

 

YouTuberのヒカルが「タモリさんって全く面白くない」と発言した件について。そもそもの話として、今の時代にタモリの面白くなさについて言及することに何の意味があるんだろう、というところで立ち止まってしまいます。

 

この主張がまかり通るようになったら、じゃあギャルはギャルで自らのファッションの出自すべてに対して敬意をはらっているのか、雑に消費していないのか、という話にもなっていきますから、はっきり言ってこんなこと不毛だと思っています。

 

タイタンライブの映像自体はYouTubeで公開されていることもあるので、ソフト化が不可能ということはないだろうと思うのですが。

 

そんな『かくかまた』は本誌で最終回を迎えたようです。

 

こっちは青バッジ少ない気がします。

 

十年以上前に亡くなった私の身内の死因に関する病気について、匿名質問サービスを使って「〇〇ってどうすれば治るんですか?」というような言葉を投げかけてくる人がいるのです。一見、その病気に対して関心がある人のように振る舞っていますが、私が何度も「その病気の話題の名前を出されると故人のことを思い出すので止めてほしい」と訴えかけているにも関わらず、止めようとしないので、これらの質問は悪意によるものだと認識しております。そして私がサービスを止めると言った後もアカウントを残していたら、またしても同様の質問を投げかけてきたため、アカウントを削除するという決断に至りました。百害あって一利なし。これらのつぶやきは、その件についての説明です。要するに「お前は俺を不快にさせるためにそれらの質問を投げつけているだけのつもりかもしれないが、その内容は明らかに人として守るべき一線を超えていて、正気の沙汰ではない。はっきり言って心の病気だからとっとと治療を受けろ」と言っております。

 

これは虚勢ではなく事実です。ゴールデンウィーク中に手作りギョウザと無水カレーに挑戦しようと思っています。それを一緒に食べてくれる家族もいます。空虚なインターネットよりすべての行為が実績として死ぬまで残る現実の方が楽しいに決まってるんだから。ちなみにウーロンハイはゴールデンウィーク前の休前日にやりました。個人的には、いいちこよりも宝焼酎の極上で作ったやつの方が美味しかったです。あんまり味が付けたされない方が美味しく感じられるようです。

 

今月は以上です。