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また性懲りもなく瓶蓋ジャムを買い求める

2025年11月のぼやき

冬の到来を感じながらぼやいていました。

アルコ&ピース D.C.GARAGE』と『霜降り明星オールナイトニッポン』でTKOの話題が出ているのを聴いて、改めて感じたこと。世間にはTKOを真っ直ぐに嫌っている人も少なくないのだろうとは思いますが、こうしてイジられる対象となっているうちはまだまだ大丈夫なんだろうと安心させられますね。ちなみにアルピーのラジオでは木本さんが電話出演されていて、とんでもなくイジられていました。

 

チョコレートプラネットの一件を思い出し、ふと感じたこと。当時、松尾さんが「自身の発言が世間に与える影響力を自覚して発信している人」という意味で有名人を玄人として認識していたのだとしたら、確かに無名な一般人である私たちは素人に他ならないなと実感させられる頻度が、このところ本当に多くなってきました。素人にせよ、一般人にせよ、発信者である以上、その言葉によって背負うべき責任は一律に存在しているはずではあるのですが。

 

「差別で人が死ぬことはない」という旨のポストを見かけて。完全に差別しないことが不可能であったとしても、その理想を目指して出来るだけ進んでいこうという考え方を理解していない人が少なからず存在することに、改めて驚かされます。……まあ、逆に「出来るだけ」の部分をスルーして、完璧な理想郷を作りたいと勘違いしているとしか思えないような振る舞いをしている異常者も少なくないので、この程度の歪みはもはや甘んじて受け入れるところなのかもしれません。

 

Twitterに限らず、その界隈のことを部分的にしか認識できていないのに、それがさも全容であるかのように語る人というのは、インターネットの世界では少なくありません。個人的には、VTuberが槍玉にあげられているのをよく見かけますが、あのジャンルもかなり細分化されているので、一概には言い切れないところがありますよね。委員長とおめシスとピーナッツくんとヘアピンまみれを一緒くたに考えることなんか出来ないでしょう。

 

日常生活の片手間に思想を広める人の言葉を鵜吞みにして、現場を蔑ろにするのは本末転倒、みたいなことを言っています。一見すると、とても正しそうなことを主張しているように受け取られるような発言であったとしても、それが実現可能なことなのかどうか、何処まで理解した上で発信しているのか、判断することも大事なのではないかと。……さっきの差別云々のつぶやきと少し矛盾しているように見えますね。緊急性の違いでしょうか。

 

一日中、年がら年中、パソコンに貼りついている生活を送ることが出来る人じゃなければ、なかなか実行できることではないよなあ、と感心させられます。逆にいえば、漠然と石を投げてくるような連中には、そういった日々の時間が有り余っている類の人が多いのかもしれないなあ、と勘繰ってしまいそうにもなります。そんなことはないのでしょうが。

 

霜降り明星粗品が自身のYouTubeチャンネルで「芸人の地位を向上させたい」と話しているところを見かけて、思ったことです。芸人なんて、社会から少し乱暴に扱われているぐらいの方が、軽やかに立ち回ることが出来るので。そもそも、現時点で既に、芸人の地位はかなり高いところにあるようにも思います。だからこそ、チョコプラは「素人はSNSするな」発言を「上から目線」として受け止められて、あんな意味の分からない炎上を巻き起こしてしまったわけで……。

 

「郷に入っては郷に従え」をインターネットの世界で実行している人たちなのかもしれません。でも、その“郷(田舎・里)”とされるものもまた、インターネットの世界のごく一部でのみ成立する文化でしかないようにも思えます。……要は田舎モンってことでしょうか。インターネットの田舎モン。なにやら矛盾を感じますね。

 

先述のヨッピーの記事を紹介するポストに対し、男性の加害性について一家言持っていると思われる方からいきなりタメ口の引用RPを受け取り、「この人は普段、どのような発言をしているのだろうか?」と興味本位でホーム画面を覗いてみたところ、様々なアカウントのつぶやきに引用RPを飛ばしまくっていたのを確認して。インターホンも押さずにズカズカ自宅に入り込んでくる宗教の勧誘みたいなことをしていて、果たして誰がその主張を信用してくれるんですかね。ちなみに、その方はマシンガンズ西堀さんが滝沢さんを嗜めるような引用RPを送り付けていたときにも、同じようなことをされていました。……もしかしたら、社会的な課題における多数派の意見に乗っかることで、社会に対して物申している気持ちになっているだけの、単なる野次馬なのかもしれません。

 

こちらが勝手に「そういうものだから仕方がない」と諦めさせられていることへの気付きです。サブスク系の番組に出ている側でもある伊集院氏が言っているからこそ、説得力がありますね。……かといって、それらを手放せるかというと、これもまた難しいから厄介ですね。とりあえずアマプラと向き合いましょうか。

 

昨今のSNSにおける治安の悪さを生み出しているのはコイツらなんじゃないか、という気がしています。恣意的な編集力に拡散力を兼ね備えたコピペブログみたいなものですもんね。……そもそもコピペブログって、そういう側面がありましたけどね。

 

芸人の基礎問題です。この特性を認識していない人が、やたらと芸能人に社会的問題を語らせようとするきらいがあって、ちょっとウンザリしています。ちなみに、このポストに対して「でも政治のことをあちこちで言わなきゃ日本が滅亡しちゃいませんか?」という旨の極端な引用RPが飛んできました。私は芸人という稼業の特性の話をしているだけで、当人がそれを捨ててでも主張をしたいというのであれば、別に構わないと思いますよ。それは本人の自由です。ちゃんと理解しろバカ。

 

SNS上での発言が原因で一年以上活動休止していたフワちゃんが、プロレスラーとして活動を再開した件を受けて。復帰を喜びたい気持ちと、以前の悪童ぶりが鳴りを潜めてしまうのではないか?と心配する気持ちが、同時に浮かび上がってきました。ともあれ、めでたい。

 

東京国立博物館が「みんなが来たくなる博物館」実現に向けて発表した計画の内容に対する批判を見かけて。いっそのことでっかいイオンモールでもブチ建てて、その中の一施設にでもしてしまえばいいんじゃないですかね。知りませんけれど。しかし、過疎化に悩んでいる地方都市ならまだしも、都会のド真ん中にある歴史ある施設が取るような対策ではないような気がしますね。地方在住者が企画を立てたのでしょうか。

 

ノンポリに対する批判を目にして。気持ちは理解できますが、そのノンポリぶった人たちが自分たち側にやってくることを無邪気に期待しているような、ほんのり甘ったれた考えが根っこにあるような気がしないでもないです。だったらノンポリの心を動かすような主張を工夫して打ち出すように心掛けろよ。ノンポリノンポリたらしめている原因に加担している自覚はないのか。

 

というか、そもそも「性欲に支配されるべきって価値観」という言い回しの意味があんまりよく分かりません。文章が下手くそすぎます。とりあえず私は「性欲に心を支配されるのは仕方がないこととする価値観」というニュアンスで捉えました。これが正解なのでしょうか。なんとなくスッキリしません。ことによると、うっすらと正しそうな主張を歪んだ日本語で文章化して、読み手に内容の不足している部分を勝手に補足してもらうことで、それぞれに頭の中で主張を妄想的に構築してもらおうという戦略なのかもしれません。……そんなわけ、あるかいっ。

 

SNSの住人には、他人には最初から完璧を求めているくせに、他人からは変化する自分を評価してもらいたがっているところがあります。汚点のない人生なんてあるわけがないのに。そんな自分に対する考え方を他人にも向けられるようになって、ようやく他者理解のスタートラインに立てるような気がしますよ。

 

いつものように、いつの間にか太田光がバッシングの標的になっているところを見かけて。いつも思うことなのですが、太田さんのことをバッシングしている人たちって、太田さんほどに物事を考えているのでしょうか。なんとなく振る舞いのイメージだけで否定しているようなイメージがあるのですが(お前もイメージかよ)。

 

「悪口専用アカウントと謳っていることを免罪符にして、引用RPで他人のことをバカにしまくってるの全然犯罪だろと思う」という旨のつぶやきを見かけて。要するに「悪口専用のアカウントなんだから、悪口を言っているのは当たり前なので、悪口を言ってても許されるべき」という理屈なんでしょうね。だったら表立ってやらなければいいのに。

 

そういえば、「そういう考え方もあるかもしれないけれど、私はこう読み取った」と対話を試みようともせずに、ただ「お前の言っていることは間違っている」としか言ってこない人が増えたような気がします。何処が間違っているのか、何処がおかしいと感じたのか、それすらも表明できないお子様メンタルの人が世の中には少なくないのでしょうか。嫌な可視化だな。

 

そもそも「有名アニメのキャラクターが大人になった」というコンセプトのCMが総じて苦手なんですが、その中でもダントツに質が悪いです。元ネタの解像度が低いし、台本もスカスカだし、登場人物で遊ぼうという気概も感じられない。俳優・伊藤沙莉の経歴における最大の汚点といっても過言ではありません。……いや、流石にそれは言いすぎか……。

 

「講義」は「抗議」の変換ミス。志らく師匠のワイドショーでの発言に対して、烈火のごとく怒り狂っている人たちを目にして。彼らが怒れば怒るほど、その界隈に身を置いていない人たちは「そこまで言わなくてもいいんじゃない?」と気持ちが引いていくのではないか、という疑念。その結果、「〇〇叩きはやめよう」という思想に、どんどん説得力が増していくという悪循環。そもそもネットと批判は根本的に相性が良くないのかもしれません。

 

上の話題に関連して。地獄への道は善意で舗装、みたいな話。

 

だから加害性の高い言動を自覚できないのかな、という推論。

 

Adoとtuki.の悪ノリに対して、tuki.にのみ批判の声が寄せられているらしい、という話を見かけて。自分が同じような立場だったとしたら、はしゃぐだろ。

 

私は今でもオリンピック批判の流れにかこつけて小林賢太郎を引きずり下ろした一件を許してません。あなたたちは、その問題となったコントの映像を、どのような手段でご覧になられたのですか? 

 

他人のパーソナルスペースを侵食することに対するペナルティとして描写されていた「お約束」を特に改善策を設けることなく捨てることが“新しい”とするならば、その先にあるのはデリカシーの歴史を排除した無法地帯なんじゃないですかね。……もっとも、そういった作品は既にそこそこ出回っていますけども。

 

上の話題に関連して。近年のお笑い芸人の世界における「面白さが正義」という考え方が一部から問題視されている昨今ですが、それとは別軸で「面白ければ間違っててもいいじゃない」という考え方が噴出しているような。プライドもへったくれもない再生数至上主義的な思想があるというか。YouTubeの隆盛によって起きた弊害みたいなものを感じます。

 

礼賛の認知度を見誤っていたのかしらん、と自分を省みながら。

 

今月は以上です。