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さあ、水道の蛇口を開け。

2025年3月のぼやき。

相変わらずSNSでボヤいていたので、まとめてみました。

Xでエッチなイラストを公開している人たちに対して、なんとなく思った悪いこと。「性癖」という言葉が投げかけられているところは何度か見たことがありましたが、そういえば精力について触れられているところは見たことないような気がしたので、そっちを突っつかれるのは不愉快なのかもしれないなあ、と。もっとも「エッチなイラストを描いている=精力が有り余っている」というわけでもないのでしょうが。

 

地味で根暗で社交性のないオタク女子が、男性によって美女に仕立て上げられている姿を肯定的に描いているイラストを見かけて。よくよく考えてみると、むしろ「メガネ女子がメガネを外すと意外と美人だった」という漫画の常套句に対する反抗として、メガネ女子のメガネを外すことへの拒否反応があったのかな、と。ただ、どちらにしても行きつく先にあるのは「素材としての顔の良さ」で、そのことが却ってオタクのビジュアルに対するコンプレックスみたいなものを感じさせられますね。

 

新しい考え方が旧態依然とした文化を蹂躙するという意味では、くだんのMVによって批判されていたコロンブスとやっていることが同じなのではないか?という疑念によるもの。書き手が新しい考え方に寄っているから勧善懲悪に見えるだけで、でも、客観的に捉えたときに必ずしもそれが絶対的に正しいものに見えるのか?と。そこに内在する傲慢さが、この後に言及している「さす九」にも繋がっているのかもしれません。

 

よくSNSで絡まれている人を見かけて、ふと思ったこと。「ケンカは同じレベルの人間同士だから起きる」みたいな話がありますけど、実際のところは「とてつもなく話の分からないアホのところまで有識者が下りてきてあげている」パターンも少なくなさそうです。

 

「冷笑は良くない」という主張を見ていて、思ったこと。それが冷笑であると判断している自分の立ち位置についても考える必要はありそうな。

 

ハリウッドザコシショウが雑誌のインタビューにおいて「お笑い以外にやりたいことが一つもないんです。だから、不祥事でお笑いができなくなるのが本当に嫌」「“珍棒”で問題を起こして芸能界から消えていく人が最近、多いじゃないですか。だから僕は女性のいる飲み会には行かない」と発言していたことを受けて、「女性の参加する飲み会をリスクと捉えているのか」「芸人仲間の飲み会から女性を排除するのか」という声があがっていた件について。そこまで考慮することが理想だろうとは思いますけれど、女性との飲み会をリスクだと感じさせるような社会を築き上げたのは我々のような無責任なインターネット大衆ではないのか……という違和感もあります。

 

芸人のネタに対して現代的な感覚から批判している人たちについて、ふと思ったこと。社会のことを考えて発言しているように見せかけておきながら、その実、一般人という無責任でいられる立場から無責任に文句を言っているだけなんじゃないか? それこそが一般人の強みであることは確かですが、そのことを自覚する必要性はありますよね。

 

「さす九」について。九州の実情については分かりかねますが、特定の地域をひっくるめて「こういうネガティブな傾向のある地域」としてポップに昇華する行為が絶対に良くないことすら分からなくなってしまう人たちが少なからず出てくるような時代になってしまったのかよ、という悲観と怒りを込めて。理不尽にカテゴライズされていることへの糾弾に熱狂するがあまりに、新しいカテゴライズを生み出しかねないことをやっているという自覚していないのは、あまりにも愚鈍すぎる。

 

このポストを投稿したときに、心の中で本当に思っていたのは「こういう言い回しが成立のは、それなりに知名度と影響力のある人間だけなのに、どうして単なる一般人でしかないこの人がこういう言い回しをしたんだろうなあ」ということでした。この人がダウ90000への評価を理由にお笑いを見なくなったとしても、世の中には何の影響力もないじゃないですか。なのに、それを宣言することに、何の意味があるのだろう、と。

 

エッチなイラスト界隈でちょっと流行っている表現について。〇イ〇リって肉体的快楽というより征服欲(相手に奉仕させることで得られる精神的快楽)を満たす行為だと思うんですけど、ア〇顔ダブルピースに関しては関係性が逆転しているようで、面白いなあと。どうでもいいですけど、女性に「次やったらコレだからな」って赤面させながら言わせるの、まあまあ矛盾してますよね。恥ずかしいのなら屋外で自発的にそんな動きするんじゃないよ。

 

元のポストの方が言及されていたのは錦鯉だったんですけど、正直言って錦鯉の漫才って普通に論理的に作り込まれてますよね。M-1で優勝したときにしても、まさのりさんのバカさよりもおじさん要素を強調したネタで最終決戦に進出していましたし。錦鯉というコンビに対し、世間がどういう方向性のネタを求めているのか、しっかり対策した上で勝ち上がったということですよ。

 

礼賛のライブに参加した観客が「痴漢にあったのに対応してもらえなかった」という旨のポストをしていた件について。結局、このポストをされていた方が嘘の告発をしていたのではないか?という疑惑が渦巻いたまま、話が終わってしまった感があります。もっとも、虚偽の告発が起こる可能性については以前から課題としてあったわけで、そのパターンが発生したときについての話し合いはなされていなかったのかな、と。あと、ファン周辺の反応がやたらと過激化していたことが、なんだかおっかなかった。

 

実質的に先の「冷笑」と同じ話。差別か差別じゃないかを判断する人間次第ではないかという疑念。

 

親近感を与えながら視聴者を増やしていくYouTuberが企業からの案件を有り難がる構造は、YouTuberを間に挟みながら視聴者が企業を有り難がる構図になってしまう危険性を孕んでいるのではないかという不安からのポスト。「問題を起こした会社ではあるけれど、あのYouTuberに案件を投げ込んでいたしなあ……」と思わせられるような、飼い慣らしが始まっているような気がしないでもないです。

 

特定の人物や作品が燃え広がっているときは、それについて言及したときに、何処の馬の骨とも分からない輩に噛みつかれることがあるという学びを再確認。こういうときに他人に噛みついてくるようなタイプの人間って、噛みつくこと自体がアイデンティティになってしまっていて、人間としての中身が薄っぺらなイメージがあります。本題についてきちんと学び合おうというスタンスの人は、噛みつかずに対話しようと努力すると思うんですよね。でも、そういう人に限って、噛みついてきた相手としっかり向き合おうとして消耗してしまうから、ネットに向いてなかったりします。厳しい。

 

そういう広告を目の当たりにして。動画どころか、強制的に音楽まで流させるのは、いよいよもって害悪でしかありません。広告が広告自身で首を絞めています。というか、根本的な話として、バナーの量が異常じゃありませんか。

 

以前、カラフルスポブラ女が失言して炎上したときに、「これが原因で『オードリーのオールナイトニッポン』のイベントDVDリリースが危うくなるかもしれない」という旨のポストを投下、世間の空気をそちらに傾けるような発言をされていた記憶があったので、ちょっとニヤニヤしてしまいました。本当に良くありません。良くない感情であることは自覚しておきたいです。「天誅」とか言い出したら終わりです。

 

ラジオの音楽番組で、過去の名曲とされている楽曲の制作過程などを知るようになった影響からか、古い曲の安直なパロディを笑うときに、うっすらと心にバリケードが発生していることに気付いてしまいました。でも、「失礼だから、そんなことはするな!」というのは、絶対に違いますし。難しいですね。

 

大抵の場合、数週間前まで宴会に参加するほどに元気なんですよね。

 

リメイクされた『白雪姫』の評判を目にして。崇高な意義を背負っている作品ならば、より慎重にハイクオリティなドラマを作り上げようとするのが本来の態度だろうと思うのですが。意義の上に胡坐をかいてしまったのかもしれません……って、観る前から語るのも良くないのですが。

 

松尾潔氏がさいたま市長選に立候補した小袋成彬氏からX(旧Twitter)においてブロックされていることをポスト、その上で「どういうスタンスで政治活動を展開されるのかな」と投げかけていた件について。昨年の『紅白歌合戦』において、星野源の選曲について疑問視されていたときにも感じたことなのですが、批判するときはしっかりと真正面から批判をしてもらいたいものです。なんですかね、この「皆さんには私の気持ちが分かりますよね……?」と匂わせて、周囲が立ち上がることを期待するようなスタンスは。お前が最初に立てよ。

 

『子宮恋愛』というドラマが物議を醸しているところを目にして。なんとなく“子宮”って言っておけば重みが生じるだろう、みたいな軽さを感じなくもないです。性感帯だと盛り上がりにくいのは分かりますけれど、それにしたって子宮はなんかちょっと違うような。

 

オールスター感謝祭』において、江頭2:50に襲撃されて永野芽郁が泣いてしまった件について。思い返してみると、永野が泣いてしまった理由を「恐怖を感じたから」だと決めつけて、議論を展開させていた時点でインターネットの良くないところが爆発していたように思います。結局、永野は自身のラジオ番組で「びっくりして涙が出ただけ」と表明、江頭も謝罪しているので、当人たちの間では決着がついたようなのに、未だに延焼しているようです。炎上の焼け跡から使えそうなモノを探し回るのは野次馬のマナーに反するので、あんまりよろしくないですね。そのうち自分に焼きが回ります……おあとがよろしいようで。

 

こちらも『オールスター感謝祭』の件について。内容の是非はさておき、海外のメディアに取り上げられるほどの騒動に発展させる片棒を担いだ自覚はないのだろうか、と。あと、そろそろ「海外のメディアに取り上げられたこと=日本にとって大ダメージ」という考え方も、そろそろ時代錯誤のような気がしています。日本のメディアがピンキリなように、海外のメディアだってピンキリです。

 

こちらからは以上です。