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さあ、水道の蛇口を開け。

いじめについて

中学生のころ、いわゆる【いじめ】を受けていた。休み時間になるたびに、学校中を追い回され、暴力をふるわれるのである。もっとも暴力そのものは大して苦痛ではなかった。それよりも辛かったのは、「休み時間が来るたびに暴力をふるわれるかもしれない」という不安に苛まれることだった。いじめっ子の気まぐれによって、暴力をふるわれることもあればふるわれないこともある、という状況下に置かれていることが苦痛だった。その後、中学を卒業し、いじめっ子とは別の高校へと進学したために、いじめを受けることはなくなった。その頃、私はこんなことを思っていた。「これほどまでに理不尽な目にあったのだから、これから先の人生はすべてうまくいかなくちゃワリに合わない」と。人生において消費される運が有限なのだとすれば、これまでの不運とバランスを取るように幸運が舞い降りてくるべきだと考えていたのである。今にして思うに、この理不尽な状況を受け止めるために、現実逃避していたのかもしれない。無論、そのような都合の良い状態になることはなく、私の人生は上昇と下降を繰り返している。それどころか、たまにいじめを受けていたころの記憶が突如としてフラッシュバックして、心が苦痛で立ち上がれなくなってしまう事態に陥ることも少なくない。いじめとは支配欲の暴走だ。いじめる側は成長とともに心が安定して支配欲から解放されるようになっていくのかもしれないが、いじめられた側は支配されるという暴力を受けた侮辱を死ぬまで忘れられることはない。何をどう考えてもワリに合わない。そう思うと、いじめはリアルタイムでいじめを受けているときにこそ、自らの手ではっきりと解決させないといけないことなのだろう。金属バットでぶん殴ってやれば良かったのかもしれない。