令和時代のお笑い公論

笑いの粗熱が冷めるまで

「キングオブコント2021」雑感。

いつもお世話になっております。すが家しのぶです。

次号の『読む余熱』が「キングオブコント2021特集」ということなんですけど、今回もそちらの方に感想文を寄稿する予定になっております。「M-1グランプリ2020」特集における反響の薄さを反省し、今回は感想文メインの記事となっております。感想文の中身の薄さを日記形式で乗り切ろうという姑息な手段はもう取らないつもりです。……つもりです(こいつまたやるな?)。

というわけで、今回の大会についてもブログではネタの感想を書くことは出来ないのですが、まったく触れないというのも寂しいので、当初は記事の中で公開する予定だった雑感をこちらで公開したいと思います。「こういうのを書いたら、ちょっと文章にまとまりがなくなってしまうかもしれないな」と思って削った部分なので、ネタ感想文を期待されている方には物足りない内容かもしれませんが、まあ、箸休めみたいなものだと思って読んでいただけますと幸いです。

それではサクッと。

■浜ちゃんが優しかった。例年、浜ちゃんはネタを終えたばかりのファイナリストにも(あくまでバラエティ的な意味で)厳しい態度を取っていた記憶があるのだが、今年はやたらと優しかった。時には苦労を労うような瞬間も。心境の変化なのか、暴力に対してリアクションを取れないメンツだと察したのか、その辺りは分からないが、ちょっと驚いてしまった。■一方で、浜ちゃんの審査員に対する態度は、今年も厳しかった。特に厳しい扱いを受けたのは東京03飯塚さん。登場シーンで上手くリアクションを取れず、そのまま審査員席に就こうとしているところを止められ、登場シーンでのポージングをやり直す羽目に。ただ、それは理不尽な暴力というよりも、まだまだ華やかなテレビバラエティの世界に慣れていない後輩に対して、きちんとバラエティでの振る舞い方を指導しているかのようにも見えた。■それにしても今年の審査員は良かった。良いところも悪いところもきちんと自分なりの意見をぶつけていて、出場者も視聴者も満足のいく内容だったように思う。■審査員の交替が完全に成功していたためにうっかり忘れてしまいそうになるが、新審査員を当日までシークレットにされていたことは根に持っておきたい。下手に評判が良かっただのなんだのいわれて、来年のファイナリストがまたしてもシークレットにされてはたまらない。■賞レースでかけられたネタについて倫理を問われる近年の風潮はなんなんだろうか。確かに、芸人のネタは観客のリアクションと共存の関係性にあるため、その内容が社会を映し出している側面を持っているとは言えなくもない。だが、それはあくまでも、社会を映し出している鏡に過ぎない。鏡に映っているものをどれだけ倫理的に正しいものにしたところで、社会そのものが良くなるわけではない。変わらなくてはならないのは、芸人のネタよりも我々であるべきだ。ネットを通じて、見知らぬ他人を徹底的に追い詰めて、時には死に至らしめるような時代に生きている我々が、何を偉そうに虚構の倫理を問うているのか。後続に対して正否を学ばせる自信がないから、虚構に責任を押し付けているだけなのではないか。そもそも、そのネタが何を描こうとしているのか、どれほどの人が正確に認識できているというのか。とある事物をモチーフとしたコントはすべて、その事物を蔑んでいるわけではないだろう。何を根拠に、自分にはその判断が出来ると自信を抱いているのか。■※追記:先の文章はザ・マミィのコントに対する世間のリアクションに抱いた違和感を文章化したものであって、「今の時代にそぐわない表現に対する批判」を受けてのものではありません。説明不足ですいませんね。あと、「何を偉そうに虚構の倫理を問うているのか」という一文は、「虚構の倫理を批判する権利などない」という趣旨のものではありません。ただ、その批判に対して、批判をする権利もあるのではないかと思いますけれども。■それはそうとしてカーネクストのコマーシャルに出演している朝日奈央がかわいい。眼鏡の朝日もかわいいし、車を装着したカーネーサンに扮した朝日もかわいい。写真集を出してほしい。■そういえば「ジャルジャルの光」ってなんだったんだ。コマーシャルのために作られたユニットとはいえ、あそこまで雑なコラボコントは見たことがないぞ。片や歴戦の雄、片や昨年大会のキング、もうちょっと扱い方を考えてもらいたい。■こちらからは以上です。