白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

かが屋「好きなように生きる」を考える。

かが屋のコントは易しくない。

彼らのコントはボケとツッコミの関係性を明確にしないことが多いため、そのネタに込められた意図は観客が組み取らなくてはならないことも少なくない。そして、多くの観客は、舞台上で起こっている現象の「誰も悪くない雰囲気」に翻弄され、彼らのコントを「人を傷つけない笑い」と捉えてしまう。だが、果たしてそれは、正しい判断といえるのだろうか。かが屋のコントの中で描いている世界は、確かに優しいものかもしれない。時には、登場人物同士の優しさが仇となって、誰も救われない理不尽な展開を迎えることもある。だが、そういった事象を、あくまでも「笑えるもの」としてパッケージしているのは、他ならぬかが屋自身なのである。その根っこには、むしろドス黒い性格の悪さがあるのではないか、と私は勝手に思っている。

そんなかが屋のコントに、『好きなように生きる』というネタがある。一人の客(賀屋)が焼肉屋を訪れて、肉を食べ、帰っていく様を描いたコントである。ただ一点、違和感となっているのは、その客がカルビ一人前しか頼まなかったこと。通常、焼肉屋のメニューは、複数の部位や料理を注文することが基本となっている。事実、その客がカルビを注文し、それを食している間にも、他のテーブルでは様々な料理や飲み物が注文されていく。だが、その客は何のためらいもなく、カルビ一人前だけを注文し、食べ、帰っていくのである。そんな客の背中を見送った店員(加賀)は一言、「好きなように生きてるなあ……」とつぶやき、また仕事へと戻っていくのであった。

このコントの動画に対するコメントを見てみると、「憧れる」「店員の対応が素敵」「心にゆとりがないとできない」など、客の振る舞いを肯定的に捉えている人が多いことが分かる。だが、先にも書いたように、すべてのやり取りは「笑えるもの」として描かれている。果たして、かが屋は客のことを、「好きなように生きてる」人として肯定的に描いているのだろうか。お会計を済ませるときに伝票をテーブルに置いたままにして、大した金額じゃないのに一万円札を出して、一人なのに食後のガムを二枚要求する客の言動に対し、ずっと半笑いの状態で接客する店員の表情にこそ、その答えはあるように思う。

シチュエーションを切り取ることに徹底して、その真意を語ることなく、全てを観客の判断に委ねる。そんなかが屋のコントは、だからこそ「人を傷つけない笑い」が提唱される時代に適しているといえる……のかもしれない。