白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

その厳しさはどこからやってきたものなのか?

かつて『爆笑オンエアバトル』という番組があった。10組の若手芸人が100人の一般審査員の前で漫才やコントを披露し、点数の高かった5組のパフォーマンスだけがオンエアされる……というシステムのネタ番組である。この『爆笑オンエアバトル』の2002年2月放送分において、こんな一文が放送された。「〇〇さん、体調悪そうでしたね。でも、コンディションを整えるのもプロかと……」。これは、ネタがオンエアされなかった芸人に対して、一般審査員が寄せたジャッジペーパーのコメントである。このコメントが主張していることは正しい。あまりにも正しい。ただ、正しすぎる。多くの人前に立つ特殊な稼業に就いている芸人といえども、私たちと同じ人間であることには変わりない。時には体調を崩してしまうこともあるだろう。そのことが観客に悟られてしまうほどの状態であったのならば、それは確かに芸人としてあるまじき姿を晒していたといえるのかもしれない。とはいえ、それでもこの指摘は、体調不良を押してまで舞台に立とうとする芸人に投げかける言葉としては、あまりにも無情である。そもそも、それは芸人だけにいえることではない。仕事に就いている人はすべてその仕事のプロであるはずだ。自分自身の人生を顧みて、果たして常に完全なコンディションで仕事に臨んでいたと胸を張って言える人が、世の中にどれほど存在するのだろうか。その芸人に対して、「コンディションを整えるのもプロかと……」といえるような、厳しい視線を自分自身にも向けられるだろうか。昨今、これと似たような、やたらと自らのことを棚に上げて、他人に厳しい言葉を投げつけている人をよく見かける。まだまだ表現方法に文章が用いられることの多いインターネットの世界では、自らの匿名性を利用して、赤の他人に対して無責任に厳しい言葉を振り回すことが可能だ。それほど利用者が多くはなかった時代であれば、それもまたひとつのカルチャーとして認められるものだったのかもしれない(それでもネット上に蔓延る噂が実在する芸人に被害を及ぼした「スマイリーキクチ事件」が起きてしまっていたわけだが)。しかし、今は違う。誰でもインターネットを利用できる今の時代において、その無責任さは許されない。だからこそ、言葉を扱う人間として、自らを律する必要性がある。例えば、SNSで見かけた噂話などのようなものに触れるときには、それが有名配信者であろうと有名暴露系インフルエンサーであろうと、慎重であってもらいたい(むしろ間違いが起きたときに彼らに責任を擦り付ければいい……という思考になりかねない)。ちなみに、くだんのジャッジペーパーを書かれたのは、『M-1グランプリ2001』ファイナリストに選ばれ、売れっ子への階段を上り始めていたおぎやはぎである。