白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

新型コロナウィルスに感染してしまった件について。

どうも、すが家しのぶです。

突然ですが、新型コロナウイルスに感染してしまいました。

六月三十日に発熱し、翌日に検査を受けるも陰性。とはいえ大事を取って、しばらく自宅に引きこもり、熱の状態が落ち着いてきたところで、改めて検査を受けてみたところ、遅ればせながら陽性反応が出てしまい、更に十日間の療養期間を設けることに。陽性反応が出てからは、軽度の発熱、咳、喉の痛み、痰などの症状がありましたが、寝込んでしまうほどのことではなく、結果的に盆暮れ正月以上に長い連休を過ごすことになったのでありました。いや、それなりには、しんどかったんですけどね。

今回は、そんな私の感染発覚までの経緯と、それからの話の流れについて記録したいと思います。記録といっても長い文章にしたくないので、箇条書きみたいな感じにします。するつもりです。そういう風になればいいな、と思ってます。なにせ長々と文章を書き連ねるクセがあるものですから。今まさに伸びてますね。やめよう。

以下、記録。

・6月30日(木)
仕事帰り、突如として体調不良に見舞われる。
帰宅して体温を計ると37.8℃とかなりの高熱。
熱中症を疑いながら早めに就寝。
しかし発熱のせいか上手く寝付けない。

・7月1日(金)
午前5時起床。体温を計ると38.0℃。出勤を諦める。
午前7時を過ぎた頃に会社へ電話、状況を説明して仕事を休む。
(原因不明の熱だったため、妻にも休んでもらう)
午前9時、行きつけのA病院に電話。発熱外来を紹介してもらう。
直後、紹介してもらったB病院に連絡、妻の運転する車で向かう。
病院前の駐車場で抗原検査。鼻から綿棒のようなものを突っ込む。
しばらく車内で待機していると、病院から連絡。医師の診断を受ける。
結果は陰性。ひとまず解熱剤を処方してもらう。
私が陰性だったので妻は昼から出勤。その間、ひたすら寝た。

・7月2日(土)
熱は下がらず38℃台をキープ。一日中寝込む。

・7月3日(日)
熱は下がらず38℃台をキープ。一日中寝込む。
この日から妻が体調不良を訴えるように。

・7月4日(月)
熱が36.8℃まで下がる。
会社に連絡すると「一応、再度の検査を受けた方が良い」とのこと。
再びB病院の発熱外来を受診する。今度はPCR検査。
結果が出るまでに時間が掛かるというので、一時帰宅。
その最中、別の病院で検査を受けていた妻から連絡が入る。
「陽性だった」とのこと。驚く
一方、B病院からは「陰性だった」との連絡が入る。さらに驚く。
帰宅すると部屋中を換気している妻の姿が。
色々と手遅れのような気がしないでもない。
どうしたもんだろうなーっとしばらく話し合う。
結果の詳細を聞きに、再度B病院へ。
尿検査と血液検査も行う。
(なお、この時点で、病院には妻が陽性者だったことは伝えている)
「奥さんが陽性だったら、絶対に旦那さんにも移ってるから!」と断言される。
検査の詳細は聞かされず。どうなっているのか分からない。
帰宅して、再び話し合い。
狭いアパート内で一定の距離を保つことは難しい。
妻が触ったものをいちいち消毒するのも不可能に近い。絶対に不具合が出る。
また、それに伴うストレスも、半端じゃないことが想像される。
以上のことから、妻にはホテル療養に入ってもらうことに。

・7月5日(火)
体温が37.3℃に上昇する。あれ?

・7月6日(水)
朝から妻を大手の総合病院Cへと連れていく。
(ホテル療養の前にレントゲン検査を受ける必要があるらしい)
帰宅し、ホテル療養へと向かう妻を見送る。
ここで熱を測ると37.5℃。おやおや?
B病院に連絡し、三度目の発熱外来を受診することに。
今回もPCR検査。前回と同様、時間がかかるということで一時帰宅。
一時間半後、病院から連絡。「今回は陽性だった」とのこと。遅いよ!!!
自宅で待機していると保健所から電話。
「夫婦で陽性ならホテル療養を切り上げて自宅療養に出来る」
「自宅療養の場合、厚労省のサイトに一日三回報告しなくてはならない」
「一度、総合病院Cでレントゲン検査を受ける必要がある」
「食料品などは自宅に送られる」
などの話を聞く。
また、自宅療養の期間についての話で、ちょっとだけ手こずる。
(陰性時の発熱がコロナによるものかどうかの判断が難しかったため)
「話し合いをしてから決めるので、また後程連絡いたします」と切られる。
しばらくして、再度電話が掛かる。
結果、7月5日(火)を発症日とし、それから十日間は休養ということに。
社会人になって以来、最大級の連休である。

・7月7日(木)
食料品は届かず。いつ来るのだろう。
妻が帰って来る気配もない。どうなっているのだろう。
流石に昨日の今日で……というわけにはいかないのか。
夕方、保健所から電話。
総合病院Cに行く具体的な時間について指示される。
「検査の結果次第では入院することになるかもしれない」
「なので入院の用意をしておいてください」
と言われたので、
「何日分ぐらい必要なんですか?」
と聞くと、話を濁される。はっきりと断言できるものではないのかもしれない。
とりあえず三日分の着替えと日用品を鞄に詰め込む。

・7月8日(金)
総合病院Cへ出向き、レントゲン検査を受ける。
肺炎になっていないかを確認するためのものらしい。
結果は良好。
ただ、体型が太ましかったため、念のためにと抗ウイルス剤を処方される。
(袋を見ると「ラゲブリオ」という薬だった)
ついでに喉の痛みと痰が悪化していたので、それに関する薬を貰う。
(水を飲もうとするとヒリヒリするぐらいの痛み)
帰宅後、なんとなくSNSを見て、安倍元総理の銃撃の件を知る。
とんでもない時代になってしまった。
この日も食料品は届かず。妻も帰ってこない。
どうなっているのだろうか。

・7月9日(土)
食料品と妻の件について保健所に電話で確認。
食料品は「病院での検査後に発注を掛けたので近日中に届く」。
妻の件は「明確な了解を得ていなかったため手続きが止まっていた」。
とのこと。
電話を切った直後、食料品が届く。
レンチンのご飯にレトルトカレー、親子丼の元に清涼飲料水などなど。
必要最低限の飲食物が詰め込まれている。
ゴミ袋や消毒液など、生活に必要そうな物資も入っていた。
妻の帰宅については念のために当人と電話。
「帰りたい」とのことだったので、
すぐさま保健所に電話を入れて、そのように手続きを進めてもらう。
夜に伊丹十三監督作品『お葬式』を観る。

・7月10日(日)
昼頃、妻が帰宅。早いな。
アマゾンプライムビデオで『ウィリーズ・ワンダーランド』を観る。

・7月11日(月)
特にやることはなし。

・7月12日(火)
特にやることはなし。
退屈しのぎに質問箱に溜まっていた質問を片付ける。
夜に伊丹十三監督作品『タンポポ』を観る。

・7月13日(水)
保健所から電話。
症状が落ち着いてから三日間の猶予を経て、療養期間終了となるため、
いつから症状が落ち着いているのかを確認するための連絡。
結果、当初の予定通り、金曜で自宅療養期間終了ということに。

・7月14日(木)
療養期間を終えた妻が仕事に復帰。
気分転換にブログのタイトルを変更する。
「令和時代のお笑い公論」から「白昼夢の視聴覚室」へ。
何かを言ってのけるぞ的な姿勢より、テッテ的に記録するぞの姿勢にチェンジ。
久しぶりにKAJALLAのBlu-rayを観る。ついでにレビュー記事も書く。

・7月15日(金)
療養期間最終日。
朝から笑い飯のDVDを観る。ついでにレビュー記事も書く。
一応、症状は落ち着いているので、何かをやっていかないと。
流れで錦鯉のDVDもチェックする。

・7月16日(土)
療養期間終了。
一応、再度の検査を受けた方が良いのではないかと思い、
I病院に電話を掛けてみたところ、
「一度、陽性反応が出た人は、その後も最長一年は反応が出続ける」
とのこと。コロナについて知らないことが多すぎると実感。
久しぶりの外出。否が応でもテンションが上がる。

・7月17日(日)
昼まで眠る。

・7月18日(月・祝)
錦鯉、ハナコアンガールズのDVDレビュー記事を書く。

・7月19日(火)
仕事復帰。

このような感じでありました。

七月二十日現在、私自身の現時点での感想としては、鼻水と痰の症状は出ているものの、日常生活を送るのにはさほど支障がなさそうな気がしています。流石に二十日間も仕事に出ていなかったので、心身ともに追い付いていない感はありますが。しばらくしたら通常通りに戻せるかな。ただ、妻は頭痛と激しい咳を発症しており、ちょっと厳しい状態が続きそうに見えます。ケアしてやらねば。

こちらからは以上です。なんだかんだで疲れるので、皆さんも気を付けてね。