白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

「ヒコロヒー「best bout of hiccorohee」」(2021年9月22日)

2021年7月10日に北沢タウンホールで開催された単独ライブを収録。

ヒコロヒーは松竹芸能所属のピン芸人である。大学二年生の時に松竹のマネージャーからスカウトされ、特待生として養成所に入所。この時、きつね、Aマッソらと知り合う。卒業後の2011年に事務所所属、2014年に上京。2019年に元ピーマンズスタンダードで今はピン芸人として活動しているみなみかわとのユニット“ヒコロヒーとみなみかわ”を結成し、M-1の予選に出場。そこで披露したジェンダーバイアスをテーマにした漫才で注目を集める。2021年に齊藤京子(日向坂46)とのトークバラエティ番組『キョコロヒー』の放送を開始、ブレイクタレントへの道を駆け上がる。同年、単著『きれはし』を出版。

本作は、そんなヒコロヒーの本業の一端である、ピン芸人としてのパフォーマンスを収録したベスト盤である。通常のバラエティ番組では見せないような、個性豊かなキャラクターたちが登場する14本のネタが収められている。

設定も多種多様。手術を控えている少年の元へ、女子プロ野球の選手がお見舞いにやってきて、いわゆる例の約束を交わすことについて意見する『女子プロ野球』。戦争の辛い体験について話しているのに聞こうともしない孫への対策として、おばあちゃんが取った手段とは……『おばあちゃんの夏休み』。貧しい村に田植えを教えに来たボランティアの女性が、現地人の奔放な振る舞いに怒りを爆発させる『海外ボランティア』。村で一番美しい生娘が生け贄に捧げられる掟で選ばれた女が、その運命に身を委ねながらも、自分が八番目だったことについてボヤき倒す『村の生贄』。オリジナリティを追求してスランプに陥った漫画家の苦悩を聞かされ続けてきた編集者が、とうとう胸の内に秘めていた本当の気持ちを打ち明ける『軽井沢』。登山中に吹雪に見舞われて遭難しかけていた女性が飛び込んだのは、至るところにこだわりを持つ老夫婦のロッジだった!『遭難』などなど……。

これらの中でも印象に残ったネタが『自分探し』と『懺悔室』。

『自分探し』は、将来に不安を感じるようになったアラサー女性が、思い切ってインドへ自分探しの旅に出ようと飛行機に飛び乗ったところ、そこでうっかり運命的な出会いを果たしてしまうコントである。結果、彼女は自分の本当にやりたかったことを見つけてしまう。これからインドへ飛び立とうとしている飛行機の中で。目的が果たされてしまった今、彼女はまだ気付いていなかった自分の人生の課題について考え、インドに行く理由を模索する。絵に描いたような本末転倒ぶりが、たまらなく面白かった。

一方の『懺悔室』は、十年に渡って水商売を続けている女が、本音を言わずに目の前の男性客を喜ばせるような態度を取り続けている自分は不誠実なのではないか、と懺悔室の中で神父に告白するコントである。ところが、この神父の様子が、どうもおかしい。女が話していること以上の話を、延々と返し続けるのである。やがて女は神父に対する不満を爆発させる。「仕事させんのか?お前まで私に仕事させんのかって聞いてんねん!」。女のトークに対して男がマウントを取る姿勢に対してツッコミを入れる構図が如何にも現代的だし、例えツッコミのキレ味も鋭い。ヒコロヒーが芸人として求められている姿をそのままコント化したようなネタである。こういうのをテレビでやったら、一部の層からウケそうだ。

シチュエーションは様々だが、これらのコントは一貫して不満と苛立ちが渦巻いている。興味深いのは、その不満や苛立ちについて、大衆に合わせる視点を設けていない点である。例えば、『家庭教師』のコントでは、女子大生の家庭教師という男子生徒にとっては魅力的な存在であるにも関わらず、まったく魅了することが出来なかったことをストレートにボヤいてみせる。その主張は明確に不純だ。だが、主張の危うさに、ヒコロヒーはまったく怖気づかない。まるで、その立場の人間には、その立場の人間ならではの主張があり、それはどんなに正しい第三者の視点にも侵されるべきではない、と主張するかのように。

この思想(と決めつけられるものではないかもしれないが)が今の時代と上手くマッチしているからこそ、ヒコロヒーは世間に受け入れられているのかもしれない。……もっとも、彼女の考え方と世間の方向性に少しでもズレが生じたとき、あっという間に手のひらを返されそうではあるが。無論、手の平を返すのはヒコロヒーの方ではなく、世間である。昨今の世間が担ぎ上げる神輿はあまりにも軽すぎる。とはいえ、それでも平気の平左で、ヒコロヒーは芸人として生き続けていくことだろう。それぐらいの太い神経が無ければ、こんなに自分を張ったネタなんて作れない。

・本編【71分】
「社交パーティー」「女子プロ野球」「おばあちゃんの夏休み」「海外ボランティア」「葬式」「コント」「家庭教師」「村の生贄」「軽井沢」「自分探し」「象形文字」「懺悔室」「遭難」「至福の時」