白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

「お金があれば→戦争です」の話。

反戦のメッセージを込めた楽曲、いわゆる“反戦歌”の中には、敢えて戦争を推奨するかのように歌い上げているものも少なくない。例えば、泉谷しげるの『戦争小唄』などは、その代表的な作品といえるだろう。「国が認めた戦争だ みんなで殺そう戦争だ」という歌詞はあまりにも過激だが、その歌詞の中で描かれている情景は、戦争という言葉から想起される漠然としたイメージの解像度を上げ、その不気味な熱狂を伝えることに成功している。この歌詞を真に受けて「死ぬの大好き!殺すのやってみたい!戦争賛成!」と盛り上がるような人間は、そうはいないだろう(最近、ゼロとは言い切れない時勢になってきているが……)。

この『戦争小唄』とは逆に、とてもシニカルな切り口で戦争の不気味さを説いているのが本作である。「妻とのケンカ」「仕事のトラブル」といった日常的なトラブルに対し、「お金」という露骨な回答を提示し、そこからさりげなく戦争を推奨する流れへと接続している。そのあまりの露骨さに、視聴者はそれが悪質なジョークであると容易に気付くことが出来る。苦笑いの一つも浮かべることが出来る。だが、現実の社会において、より緻密に意図を組み込んだメッセージが伝えられたとき、私たちは果たして、その真意に気付くことが出来るのだろうか。

「有り得ない」と思われるだろう。正直、私もそう思っている。でも可能性はゼロじゃない。一応、念のため、ひょっとしたら……を意識するのは悪いことではないだろう。日々に暮らしに必死で、そんなことを意識している余裕がないというあなたに、素晴らしい解決方法をお教えしましょう。大丈夫!お金があれば、大丈