白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

Conva「16:45」の感想文。

※この記事はネタバレを含んでいます。本編動画を鑑賞してからお読みください。

兄の手術の成功を祈っていた妹(吉原怜那)の元へ、二人の医者(医者A(田野)・医者B(警備員))が悲しい報告にやってくる。現実を受け止められない妹は、その怒りと悲しみから医者Aを罵倒し始める。ところが、その内容は、だんだんと医者の能力の話から見た目に関するものへとなっていき……。「手術の失敗を家族へと報告する」というシリアスなシーンに、「子ども同士のケンカ」という軽くて浅くて中身のないやり取りの要素を絡めて、生まれるギャップを笑いに昇華しているコントである。

設定としてはかなりベーシック。大人が子どものように振る舞うことで笑いを取る手法は、漫才やコントだけに限らず、漫画や映画、アニメにドラマなどでも目にすることが多い。だからこそ、この設定でオリジナリティを引き出すのは、なかなかに難しいともいえる。このコントの特色の一つである「男の子と女の子のケンカのやりとりへの特化」も、探せば何処かに見つけることが出来るだろう。

それでも、この『16:45』が素晴らしいのは、「医者が兄の手術を成功させられず、死なせてしまった」という当初のシリアスな設定を、最後まで捨てることなく、笑いを引き出す要素として使い続けている点にある。こういったナンセンスな手法のコントの場合、本来のテーマはなんとなく有耶無耶になったまま終わらせてしまうことも少なくない。有り得ない状況を描いているコントなのだ。有り得ないことは有り得ないことのまま片付けられてしまっても、それほど気にする人はいない。フィクションとして処理されることだろう。

しかし、『16:45』では、兄の死は徹底にして、ネタにされ続ける。例えば、妹から責められて泣き崩れている医者A(田野)に対し、それまで妹と言い争っていた医者B(警備員)が「ていうかさ、まず田野くんが切っちゃダメなとこ切るから、こんなことなったんじゃん」と衝撃の発言を繰り出すくだり。たまらない。子どものケンカが始まってしまったことで、なんとなく忘れ去れていていた、導入部において妹が医者を理不尽なほどに責め立てていたくだりが、ここで復活する爽快感。実にたまらない。また、これまでの流れを無視して、途端に矛先を切り替えてしまう振る舞いが、子どもっぽさを感じさせるところも良い。終盤、院長先生がやってきて、医者Aが妹に謝るくだりも最高。子ども同士でケンカしているときに、泣いていないヤツが泣いているヤツに謝らせられる子どもあるあるの中に、兄の死が矮小化して盛り込まれるブラックユーモアがたまらない。そして、あのオチ……いいよなあ。好きだなあ。

この兄の死の要素がアクセントのように組み込まれているところが目立つけれど、基本的な言い争いの中で繰り広げられる「子ども要素と医療要素の絡ませ方」がとてつもなく上手い点にも触れるべきだろう。「点滴が何回落ちたとき?」「女子のカルテ来てもドイツ語で「キモ」って返す」「慢性キレ症じゃん」「は?急性だし」などなど、子どもがケンカするときに言いそうな言い回しの解像度の高さと、そこに絡める医療要素の絶妙な加減がとにかく素晴らしい。ドイツ語で返すところとか最高だ。

シリアスなシーンに子どものケンカを絡めるギャップの面白さと、医療要素と子どものケンカを絡めた大喜利的な面白さ、それぞれを上手い具合に絡めたブラックユーモアに満ち溢れたコントだった。三人とも演技が上手いのも良いよなあ。医者Aが立ち去っていく院長を観察しているときの表情の変化、見せ場というのもあるのだろうけれど、絶妙。