白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

償いと赦しとアンガールズ

どうも、すが家しのぶです。大変な時代に生きております。

三十代半ばにして、突如としてさだまさしブームが到来しました。Spotifyさだまさしのコンサートでのトークをまとめたベスト盤が配信されており、なんとなしに聴いてみたところ、すっかりのめり込んでしまいました。これがもうただごとじゃないぐらいに面白い。ひとつひとつのエピソードトークの精度が高く、笑いどころが随所に散りばめられていながら、登場人物たちの人間臭さもしっかりと反映されていて、まるで新作落語のような趣きを見せます。さだ氏が高校・大学と落語研究会に所属していたことも、この圧倒的な完成度に貢献しているのでしょう。

これをきっかけに他のライブアルバムも聴くようになったのですが、トークベストとは違って、そちらにはちゃんとさだの歌声も収録されております。いちいち飛ばすわけにはいきませんので、併せて聴きます。すると、だんだんと歌の方も、しっかりと聞き入るようになってしまいました。さだまさしの曲といえば『精霊流し』と『関白宣言』ぐらいしか知らず、それらも知識として理解している程度でしかなかったのですが、日本の原風景を思わせるような歌詞と繊細なメロディがあまりにも美しく、気が付くと、すっかり心を持っていかれてしまいました。もっとも、そちらが本業なのですから、当たり前といえば当たり前の話なのですが。

とはいえ、まだまだライブアルバムを中心にチェックしている段階のため、聴く曲は自ずと代表曲に限られます。『雨やどり』『案山子』『道化師のソネット』……完全なるにわかファンですね。

それらの中に『償い』という曲がありました。

不慮の事故によって罪のない人を死に至らしめてしまった青年“ゆうちゃん”が、「償いきれるはずもないが」毎月の給料を被害者の妻に送金し続けていると、事故から七年目の年に初めての便りが送られてきて……そんな物語がゆうちゃんの事情を知る友人の視点から描かれています。この曲名を目にした私は、なんだか懐かしい気持ちになりました。というのも、今から二十年ほど前に、この曲が世間から注目される出来事があったからです。

あれは2001年の春のこと。電車内で四人の少年たちが泥酔した男性と口論になり、男性からの暴行をきっかけに、意識がなくなるまで暴行を加え、放置する事件が発生しました。その後、男性は死亡。後日、四人の少年たちは出頭し、うち二人が傷害致死罪に問われて逮捕されました。翌年二月、東京地裁にて二人に実刑判決を下した裁判官が、判決理由を述べた後で、この『償い』の話を始めたのです。「この歌のせめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と二人に語ったことは、当時大きな話題となりました。この事件をきっかけにして、私も『償い』という楽曲のことを知ったと記憶しています。

『償い』は赦されるはずもない加害者の命がけの謝罪を描いた曲です。何の反応もないままに、それでも賠償金を郵送し続ける辛さはとても想像できるものではありません。ですが、それは被害者にとっても、同様のことがいえます。加害者の気持ちを理解し、赦してあげようという慈悲の心を持っていたとしても、心根では赦しきれない……そんなこともあるのではないでしょうか。

アンガールズのコント『友情』では、そんな被害者の理性ではどうすることもできない複雑な感情が描かれています。『友情』は2016年7月に行われた単独ライブ『~ゴミにも息づく生命がある~』の中で披露されました。

ベンチの上に置き忘れられていた田中の財布を、田中の親友である山根が出来心から自分のトートバッグに入れてしまいます。その姿を偶然にも目撃してしまった田中は、山根の元へと駆け寄り「今、俺の財布そこに入れた?」と詰め寄ります。当初、山根はシラを切ろうとしますが、田中に「今すぐ返したら赦すから!二十年の友達をさ、こんなことで無くしたくないから!」と説得され、すぐさま財布を返します。山根は自らの迂闊な行為について反省して落ち込み、それを田中が慰めます。これで二人の関係は元通り……に、なる筈でした。すべてを無かったことにして、バドミントンで遊び始める二人。ですが、山根がスマッシュを打ち込むたびに、田中の表情が曇り始めます。そして自らの本当の気持ちに気付くのです。

「ごめん!山根!さっきの全然赦せてないオレ!」

それでも二人は親友であることを続けるために、色々と試行錯誤を重ねます。それでも上手くいきません。とうとう二人は絶望して、友達関係を解消してしまいます。そこで田中がこぼした「友達の始まりに理由なんてないなあって思っていたけど、終わりには理由があるんだなあ」の一言の重みはたまらないものがあります。アンガールズという特異なコンビによって演じられているからこそ、このコントはナンセンスな笑いに満ち溢れたものになっていますが、その根底にあるテーマはとてつもなく重たく、私たち自身に圧し掛かります。果たして、私の友人が私の財布を盗もうとしているところを見かけて、その罪を赦そうとしたとき、私は友人のことを本当に心の底から赦せるのでしょうか。

さだまさしは『償い』のライナーノーツで、山本周五郎の短編『ちくしょう谷』からの一節を引用しています。「ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない。ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだ」。むしろ人間は、そう簡単に人を赦せない、人を赦すことの出来ない生き物なのかもしれません。

最後に余談ですが、『償い』という曲はさだまさしの知人の実話を元に作られた曲だそうです。ただ、その知人は、事故の加害者ではなく被害者。つまり、さださんは被害者の妻から加害者の話を聞かされて、そこから加害者側の視点で曲を作ったわけです。アーティストとしてのさだまさしの凄みを感じざるを得ないエピソードですね。