白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

アンジャッシュはもう取り返しがつかない

どうも、すが家しのぶです。全てを知っているようで知らないことばかりです。

ピタゴラスイッチ』を手掛けたことで知られる佐藤雅彦氏の文章を読むのが好きで、新刊が出るたびに購入しています。人間の在り様をシャープな視点で切り取っているのに、柔らかな語り口で親しみやすく、読むたびに「こういう文章を書くことが出来たなら……」と羨望の目で見てしまいます。もっとも、何も考えずに書き始めて、思うがままに書き殴るような私のスタイルでは、佐藤氏のような文章はとても書けそうにありませんが。腰を据えられない性質なのです。 

氏の単著の中でも特に好きな本が『毎月新聞』です。『毎月新聞』は毎日新聞の片隅で一ヶ月に一度のペースで連載されていたコラムを一冊にまとめたもので、内容もさることながら、実際の新聞記事をそのまま再現したようなデザインがたまりません。現在は文庫版・電子書籍版が手に入りやすいようですが、個人的には、これまた実際の新聞紙に近づけたような大きいサイズの単行本版をオススメします。

この『毎月新聞』に書かれたコラムの中で、強く印象に残っているものがあります。タイトルは「取り返しがつかない」。2002年8月21日に発行された毎日新聞に掲載されたテキストです。ある日、佐藤氏の元へ、高校の同窓会から名簿が送られてきます。そこには同級生の名前や現住所、勤め先などが記されていました。名簿を眺めながら、当時の仲間たちの「今」に思いを馳せます。しかし、それらの名前をあいうえお順に見終って、最後の1ページを見た瞬間、佐藤氏は息を呑みました。最後の1ページは「死亡者」の欄だったからです。そして、そこにはかつて、仲の良かったS君の名前がありました。それも、亡くなってから、けっこうな年月が経過していました。その時の心境を、佐藤氏は次のように書き記しています。

Sの死が取り返しがつかないことは、どうしようにも逆らえないことである。しかし、僕が取り返し様がないと感じたのは、そのことではない。それは、Sが当然どこかで生きていることを前提として、僕自身が生きてきたことである。別の言い方をすれば、僕はそのSの存在があるものとした"バランス"で生きていたのだ。知らずに過ごしてきてしまった長い時間こそ、僕にとって、もうひとつの取り返しのつかないことであったのだ。(『毎月新聞』99pより)

この哀しみを伴った文章を思い出すたびに、まるで紐づけされているかのように脳裏に浮かんでくるコントがあります。アンジャッシュの『家が燃えています』です。2011年に開催された単独ライブ『五月晴れ』の中で披露されました。

仕事を終えたサラリーマンの上司(児嶋)と部下(渡部)が、居酒屋で乾杯を始めます。二人の会話によると、どうやら上司は一度家に帰ったものの、飲みに行きたくなったため部下を誘って居酒屋へとやってきたようです。何処にでもあるようなごくありふれた光景ですが、そこへ不穏なナレーションが。児嶋一哉、38歳。ジンリキ商事・営業部・第二課課長。この男、さきほど家を出る前にタバコの火を消し忘れ、自宅で火災が発生。今、家が燃えています」。とんでもない状況ですが、二人がその事実を知ることはありません。当然、飲み会は中止されることのないまま、滞りなく進んでいきます。しかし、その間にも、着実に家は燃え続けます。

このコントの肝となっているのは、自宅が燃えているという状況を知らない上司の発言が、自宅が燃えている(或いは自宅を燃やしたことのある)状況の人間ならば有り得ないような内容になっている点にあります。例えば、以下のように。

児嶋「お前、今期の目標スローガン、どうしたんだよ」
渡部「あー、僕は【地域密着、細かな気配り、大胆な戦略】にしました」
児嶋「……は? なんか何が言いたいかよく分かんねぇよ」
渡部「課長はスローガンどうしたんですか?」
児嶋「俺はずばり、【完・全・燃・焼!】」
 ナレ「家が燃えています」

もしも自宅が燃えていると知っていたら、こんなことは言えません。

これらのような上司の愚鈍な発言と、その度に「家が燃えています」と現実を叩きつけるナレーションによって、このコントは笑いを生み出しています。ですが、それはあくまで、観客である私たちが「上司の家が燃えている」という状況を理解しているからこそ、成立するものです。実際にはこんなナレーションが流れることはありません。だからこそ、このコントは残酷なほどに現実です。先の佐藤氏の表現を応用するならば、この上司は「自宅があるものとしたバランスで生きている」に過ぎないからです。このコントを観ながら笑っている私たちにとっても、これは決して他人事ではありません。今まさに、愚鈍な私たちの知らないところで、何かとんでもないことが起きている可能性もあるのですから。

ちなみに、この『家が燃えています』というコントは、前述した「家が燃えています」を中心とした前半パートと、部下が上司の男らしい振る舞いに見惚れて恋に落ちてしまうことがナレーションによって予告される「同性愛に目覚めます」を中心とした後半パートの二部構成になっています。

現在進行形で起こっていることを知り得ない上司の歪んだ“バランス”を笑いに昇華していた「家が燃えています」パートに対し、「同性愛に目覚めます」パートは、これから起こり得る未来を提示することで観客に「いつ部下が同性愛に目覚めるのか」を期待させる、割とありがちな仕組みになっています。その前時代的な設定も含めて、やや「家が燃えています」パートに比べて見劣りしていると言わざるを得ません。……もっとも、設定に関しては、今から十年前に行われた単独公演で披露されたネタなので、致し方ないことではあるのですが。もしも今、アンジャッシュが改めて『家が燃えています』の仕掛けを取り入れたコントを作ったとしたら、それはどんな内容のモノになるのでしょうかねえ。