白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

アンガールズ『常連のお店』の話。

私のように偏狭で付き合いの悪い人間にも、友達と呼ぶに値する人間が何名か存在している。ただ、私が友達と思い込んでいるだけで、向こうが私のことをどう思っているのかは定かではない。知人と思っているかもしれないし、バカだと思っているかもしれない。下手をすると、私のことなど記憶から抹消している可能性もある。どうぞ忘れずにいてもらいたいところだが、それについて攻めることは出来ない。なにせ私も忘れっぽい性質で、数々のクラスメートの存在を失念してしまっているからだ。いつだったか、レンタルビデオで出くわした当時のクラスメートの女性から、「私のこと、覚えてる?」と訊ねられたことがあった。当然のことながら、私はまったく思い出すことが出来ず、随分と苦悶させられたものである。まずはそちらから名乗るべきだろう。名乗られたところで思い出せないが。

それはさておき友達の話である。私が友達関係を上手く築けない理由の一つに、相手に頼みごとが出来ない、というものがある。例えば、自販機で飲み物が欲しいのに、手元に小銭がまったくないときに、その場に居る友達からお金を借りることが出来ない。貸し借りの関係性が生じることに不快感を覚えるためである。友達から金を借りた瞬間、もはやそれは単なる友情関係ではなく、金を借りた者と金を貸した者の関係性になる。いわば債務者と債権者の関係性だ。……このような表現をすると、大袈裟だと笑われるかもしれない。事実、かなり誇張した表現である。だが、この不快感の理由を突き詰めると、そこに行き着くのである。ところが、友達関係を深めるためには、その程度の金の貸し借りなどは容易に行える関係性になるべきだという風潮が、世の中にはあるらしいのである。小さなことなど気にしない、気にならない関係性だということだろうか。それが真の友情というものなのだろうか。今の私には分からない。しかし、だとすれば、私が友達だと思っている相手とは、真の友情関係を結べていないということなのだろうか。否、そもそもの話、真の友情とは……。

アンガールズのコント『常連のお店』は、常連として通っている友人(山根良顕)が原因で、経営する居酒屋を畳まなくてはならなくなってしまった店主(田中卓志)の葛藤を描いたコントだ。このコントに登場する友人は、取り立てて悪い人物ではない。少なくとも、店の中で取っている行動に悪意はない。だからこそ、店主は友人に対して文句を言えない。友人だからという理由で許してしまう。結果、店を畳むことになってしまう。本末転倒だ。そして、これこそが、私の不快感の根源である。友達関係であるが故に、本来ならばはっきりと切り分けて考えなくてはならないことを有耶無耶にして、どうしようもないほどにだらしない関係性に落ちていく不安と恐怖。どちらが悪いわけではない。どちらも相手に対する好意に端を発した行動で、それ故に、止められなかった悲劇の坩堝。本来ならば笑っている場合ではないところだが、それを笑いに変えてしまうアンガールズの脅威の表現力に改めて感心させられる。どうして彼らの決死のハクリョクに満ちた表情はあれほど面白いのだろう。

画して、今後も私が友達と認識する人間は、それほど増えることはないだろう。多ければ良いというものでもない。だが、友達が多いと自称する人のことを、ちょっとだけ羨ましいと思ってしまうのは何故だろう。……何故だろう。