白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

さらば愛しの『メルマ旬報』。

『メルマ旬報』が終わる。

編集長である水道橋博士による参院選での当選を受けて、会社が「特定の政治家が編集長を務めるメディアを運営することは出来ない」との判断を下したことが大きな理由らしい。「別にええやないか」という気もするし、「しゃーないなあ」という気もする。とはいえ、今回のことがあろうとなかろうと、永遠に続くものなんてこの世には存在しない。そういうものである、と受け入れるしかないだろう。

とはいえ、『メルマ旬報』が終わるという報せは、私の心を少なからず揺さぶるものだった。というのも、『メルマ旬報』の存在を知ったその日から、いつか『メルマ旬報』に原稿を送りつけてやろうと、密かに思い続けていたからだ。

個人的な昔話をする。

今から十五年ほど前、大学生だった私は「お笑いに関する文章でメシを食えないものか」と考えていた。当時の私は、今よりもずっとブログに対して熱を入れていて、文章に対する自信もそれなりに持っていたのである。とはいえ、プロのライターになろうなどということは、さほど考えていなかった。自分の興味の対象となるもの以外のものについては、まったく筆が進まなかったからだ。あくまでも、お笑いに関する文章で稼ぎたい。

というわけで、“お笑い評論家”を目指すことにした。

ひとまず現役のお笑い評論家たちの文章を読み漁った。最初に手を出したのは高田文夫である。高田先生はお笑い評論家を名乗ってはいなかったが、お笑いに関する本を数多く出版していた。特に『毎日が大衆芸能』シリーズは熱心に読んだ。様々な芸能について、スマートかつ軽やかに綴っている文章に、まんまと憧れを抱いた。続いて読んだのは吉川潮。吉川先生はお笑い評論家ではなく演芸評論家を名乗っていたが、似たようなものだろうと思い、手を付けた。芸人たちのエピソードをまとめた『突飛な芸人伝』が面白くて、何度も読み返した。ネタだけでは見ることの出来ない、芸人の生きざまを学んだ。この他にも、色々な筆者の本を読んだ。西条昇、広瀬和生、堀井憲一郎……。

そして気付いた。専業のお笑い評論家と呼べる人が一人もいないことに。

例えば、高田文夫構成作家として、吉川潮は小説家として、それぞれ既に一定の地位を築き上げている。西条昇構成作家出身だし、広瀬和生は音楽雑誌の編集長を務めている。いわば、その大半の人たちが、お笑いに関する文章を書く仕事とは別の仕事に就いていて、芸能の世界に足を踏み入れていたのである。そのこともあってか、彼らの文章はいわゆる観客の視点から更に一歩踏み込んだ、対象となる芸人に直に取材できる立ち位置から書かれていた。これは自分のようなド素人には決して書けるものではなかった。

しかし、逆にいえば、それは鉱脈でもあるように思えた。お笑い評論が関係者目線による文章をメインに広まっているジャンルであるとするならば、徹底的に観客の目線に固執した文章が手薄になっているのではないか。そこから鋭い批評を書くことが出来れば、彼らのように芸能の世界と繋がっていなくても、いずれは評価されるようになるのではないか。当時の私はそのような考えに至ったのである。無論、今となっては、その考えが間違いだったことに気付いている。いわゆるアマチュア目線の記事は、週刊誌に掲載されているコラムとして書き捨てられていることを知っているからだ。

とにもかくにも、そういう考えに至った私だったが、それはそれとして一つの問題が発生する。徹底的に観客の目線に固執した文章を世に送り出すために、何を目標とすれば良いのかが分からない。小説、俳句、短歌などといったジャンルで世に出ていこうとするならば、ひとまず、それぞれの専門誌に投稿するという手段を見出すことが出来る。だが、こちらが書きたいのは、お笑いに関する文章である。当時、お笑い芸人の専門誌はあるにはあったが、どことなくアイドル雑誌の流れを汲んでいるような雰囲気を醸し出していて、そういった文章を求めているようには思えなかった。

そこで当時の私は、最も精神的に気楽な方法を選択する。ひたすらにブログでお笑いに関する記事を書き続けて、いずれ編集者に見つけてもらおうと考えたのである。なんとも能天気な話だ。ただ、これもまた、まったく有り得ない話ではなかった。当時のブログは今よりもずっと注目度が高く、ブログで発掘されてライターになった人も少なくなかったからだ。私はいずれ誰かにフックアップされることを信じて、ひたすらにブログを更新し続けていた。

そんな最中に、『メルマ旬報』の存在を知った。

水道橋博士が編集長を務めている『メルマ旬報』には、様々なジャンルのエンターテイメントに関する文章が掲載されていた。テレビ、ラジオ、映画、音楽、スポーツ、プロレス、落語……その無差別的ごった煮になっている様が、私にはとても魅力的に感じられた。そして思った。「ここでなら自分のような人間にも書かせてもらえるかもしれない」。『メルマ旬報』では寄稿文を募集していたことも都合が良かった。だが、実際に執筆されている文章を読んで、私のやる気は消沈してしまった。面白い。あまりにも面白い。面白すぎる。「自分のレベルでは、このメンバーには太刀打ちできない」。そう判断せざるを得ないぐらい、いずれの文章も凄まじく面白かった。

それからは、「いつかは『メルマ旬報』に相応しい文章を書ける人間になるぞ」という意識を頭の片隅に置きながら、文章を書くようになった。そして、いつか自分の納得のいく文章を書くことが出来たならば、思い切って寄稿してみようとも思っていた。だが、そういうことを考えている人間は、往々にしてその第一歩を踏み出すことが出来ない。私もそういう人間だったのである。

そうして足踏みを繰り返している間に、『メルマ旬報』終了である。結局、私は、目の前にぶら下げられたニンジンを追い続けるだけで、それにかぶりつくことは出来なかったのである。とはいえ、その熱意があったからこそ、『読む余熱』メンバーに食い込むことが出来たのではないか、と考えられなくもない。

そういう意味で、本当にお世話になりました。ありがとうございました。また博士がなんかしらかやらかして、紆余曲折を経て本誌復活というようなことがあったときには、よろしくお願いします。ふはははは(最後の最後で都合の良いことを言っている自分に苦笑い)。