白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

真相は何も分かっているようで分からない

私にはひとつのコンプレックスがある。他人の心に響くような文章が書けないことである。私と同じ時期にブログを始めている人たちが、読者たちから敬意を込めたコメントを頂戴しているところを横目に見るたびに、そのコンプレックスは一層深いものになっていった。もっとも、そういった文章を書けなかったわけではない。自分の愛する芸人のネタを社会問題に絡めて論じるようにすれば、きっと広い層に受け入れられるだろうことは想像できていた(し、実際に書いてみて、それなりの反響を頂いたりもした)。だが、それは果たして、自分のやりたいことではないような気もしていた。ならばと、自分が本当にやりたい芸人のネタについて真っ直ぐに論じてみても、さほど大きな反響は得られなかった。賞レースの感想を書いた直後はそれなりにアクセス数も稼いでいたが、その内容についてのコメントはさほど多くはなかった。理由は分かっている。私の芸人に関する文章は、お笑いフリークたちからの関心を得られるほどの新規性がなかったのだ。そもそも芸人が芸人自身のネタについてフランクに語ることの出来る時代に、舞台経験の少ない素人の視点に需要があるようにも思えなかった。ところが、ここ数年のうちに、「ブログを読んでいました」と何度か声をかけられることがあった。それも、実際にネタを作って、舞台に立っている人たちから、である。中には、私のブログを読んで、ネタを作ることに興味を持ち始めたという人もいた。思うに、私自身が浅墓で影響力を持たないと感じていた文章は、その浅さがゆえに、お笑いに興味を持ち始めた少年少女たちにとっての入り口に適切だったのだろう。無論、そのようなことは、あくまで特例でしかないのかもしれない。だが、実際にそういった人たちがいたこと、そういった人たちの人生を変えてしまったかもしれない文章を書いてしまっていたことは、私にとってある種の希望のようなものを感じさせてくれた。そして、これから私が目指すべきブログの方向性も、示してもらったような気がした。……などということは、単なる一方的な思い込みによる勘違いかもしれないことぐらい、私でも分かっている。だが、これまでに歩んできた人生においても、これから先の人生においても、確証とされるものを抱けることなんてないのである。ひとまずドーンと行ってみよう。