白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

評論 評論 it's all write

何年か前から「お笑い評論家」を名乗っている。過去に書いた文章が“評論”と呼ばれることが多いので、そのように名乗っている。正直なところ、この肩書きに強いこだわりはない。別に「ライター」を自称しても構わないのだが、文章力も読解力もあまり高い方ではないことを自覚しているので、そのように名乗ることは烏滸がましいと思ってしまう。それよりは、まだ芸人のネタの目利きの方に自信があるからと、「お笑い評論家」に落ち着いている次第である。とはいえ、二十代のころには、この肩書に対して強い思い入れがあった。お笑いを語りたがる人間に対する侮蔑的な表現として【自称・お笑い評論家】などと使われることが多かったため、その地位を向上させたいという熱意があったからだ。しかし、幾年月が経過して、そんな情熱もすっかり燃え尽きてしまった。肩書きなんて、仕事をする上では単なるきっかけでしかなくて、結局はどのような結果を残してきたかどうかが重要なのである。もっとも、このところはお笑いに対する熱意そのものがじんわりと落ち着き始めているので、「お笑い評論家」という看板を掲げ続けていることについて自分自身で疑問を抱き始めている。そもそも私の専門はネタの解析である。ネタの設定や構成などをバラバラに切り分けて、それぞれの要素がもたらす役割について考察することを快感としている。しかし、「お笑い評論家」という肩書きは、それよりもずっと広い範囲の、お笑い界全体を研究対象として俯瞰的に捉えているような印象を与えてしまう。この本位と肩書きの微妙な食い違いは、以前から気になっていたところではあったのだ。とはいえ、今から別の肩書きに変えるというのも面倒なので、今後もしばらくは「お笑い評論家」を名乗り続けることだろう。別に資格も免許も要らないし……。ところで、私自身もまた「お笑い評論家」を名乗っていることで、たまにその肩書きを嘲笑されることがあるのだが、その度に「こいつは俺が書いてきた文章もこなしてきた仕事も知らずに、ただ肩書きだけで他人を蔑んでくるような人として薄っぺらいバカ」としか思わないので、やめてほしい。罵倒としてはあまりにも初手過ぎる。その程度の発想しか浮かばなかった自分を恥じろ。