白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

疑ってばかりいられない でも信じれるものも少ない

相変わらず吉住の件について考えている。世間はすっかり新しい話題に興味を抱き始めていて、今ではアカデミー賞授賞式での役者たちの振る舞いに注目が集まっている。昨日の話題は古いログとして扱われ、今日の話題には焼けんばかりのスポットライトを浴びせる。絵に描いたようなソーシャルネットワーキングサービスの時代である。そこにはきっと吉住のコントに目くじらを立てていた人たちが何百人何千人といて、吉住について「デモに対する偏見を助長するコントを演じていた女芸人」という認識を変えるきっかけを得ようとはしないままに、次から次へと押し寄せている新しい話題に食いついていくのだろう。そして、また何かの機会で吉住が注目されたときに、「デモに対する偏見を助長するコントを演じていた女芸人じゃないか」などと、大して精査されていない当時の古臭い結論に基づいた悪態を吐くのである。当然のことながら、全ての人がそのように振る舞うわけではないことぐらい、分かっている。自分なりに考え抜いた結論として、吉住をそのように理解している人がいることも想像できる。それでも、吉住のコントに対して批判的なコメントを寄せている人の多くは、彼女が吉本興業ではなくプロダクション人力舎所属であることすらも知らない程に、芸人に対する興味を抱かない人たちだ。そういった笑いに触れる機会の少ない人たちが、彼女の本領を知らないまま、表面的な第一印象を元に批判し続ける状態は、お笑い好きとしてはなにやら寂しいと感じてしまう。……もっとも、お笑い関係じゃないところで自分も同じようなことをやっているのだろうし(こういう話をするたびに高橋優の『ほんとのきもち』の歌詞にある一文「ことの真相は何も分かってるようで分からない それでもどうにか生きていかなくちゃならない」が刺さる)、そういった人々の抱いているイメージを言語化して笑いに変えるのがまた芸人であったりもするので、いちいち考え込むことではないのだけれど……だからこそ、社会的な意味を帯びたネガティブな批判については慎重であってほしいよなあ。