白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

何気なくて偉大な『ニセモノの錬金術師』を読んでほしいんだ

イラストコミュニケーションサービス「pixiv」にて無料公開されていた杉浦次郎氏の漫画作品『ニセモノの錬金術師』が、先日、kindleでも読めるようになった。僥倖である。ただ、個人で楽しむだけならば、pixiv上で公開されている作品を愛でればいいだけの話なのだが、より多くの人に作品の魅力を知ってもらうには、紹介しやすい媒体で公開されるに越したことはない。なにせ面白いのである。ひっそりと楽しむには、いささか勿体無い。kindleでも無料で配布されているため、有無を言わずに読んでいただければ有り難いのだが、一応、その魅力について触れておくことにする。

『ニセモノの錬金術師』は、異世界へ転生するとともにチートスキルを身に付けた主人公が、その特殊な能力を駆使して、様々な困難を乗り越える物語である。元々、作者が趣味で描いている漫画で、本作もネーム状態で公開されている。故に、細かい描写は雑に処理されていることも多く、そこに不満を覚える人もいるかもしれない。だが、私的に描かれた、大衆からの評価を求めていない作品であるからこそ、その濃度はとてつもなく高い。異世界で定められている掟、錬金術や呪術の存在、チートスキルを与える者の意図、不可解な事件など、ちょっとした要素のディティールがとにかくきめ細かいのである。しかも、異世界転生モノにありがちなゲーム的なフォーマットに頼っておらず、きちんと人間臭い理由によって組み立てられた設定になっているのだから、なんともたまらない。そのため、読めば読むほど味が出る。いつまでも味が消えない。

それでいて、登場人物たちが皆一様に魅力的であるから、またたまらない。異常なほどのお人よしである主人公、そんな主人公に対する想いを素直に表出しない奴隷、法の下に自らの「やりたいこと」を施行する錬金術師など、いずれもヒトクセもフタクセもある人たちばかりだが、その心は自らの正義に対して真っ直ぐだ。瞳には理性と狂気が宿っている。身体が脈を打ち、心臓が鼓動している。その姿があまりにも刺激的で、平穏な生活を過ごしている自分のような人間の脳味噌を激しく揺さぶる。

その上に、ストーリーの構成もしっかりと練り上げられているのだから、もうどうにもたまらない。特に終盤の展開は見事としか言いようがない。とあるシーンは読むたびに泣いてしまう。泣かざるを得ない。あの場面で、あの台詞を言わせるあたりに、作者の底意地の悪さを感じずにはいられない。「泣かせてやる」と思っていないと描けないシーンである。

……と、なにやら文章を重ねてみたが、どうも本作の魅力を上手く表わせている気がしていない。仕方のないことである。作品についての気持ちを言葉にするということは、作品と対峙している自分の心の動きを冷静に書き留める必要性がある。だが、私はそれをやりたくない。まだこの作品に溺れていたい。なので、もう、なんていうか、とっとと読んでくれ。騙されたと思って読んでくれ。面白いから。

追記(2023年6月)。

うめ丸氏が作画を手掛ける完成版の掲載が開始されました。

ラフ版とはまた違ったテイストの作品になっているので、原作を読まれている方もきっと楽しめるのではないかと思います。ノラさんがちょっと美人過ぎる気がしないでもないですが。この完成版の公開に伴い、ラフ版のまとめ版の配信も始まったので、これから読まれる方はこちらをチェックした方が良いかと思います。

追記(2024年1月)。

うめ丸氏が作画を手掛ける連載版の単行本が発売されました。

pixivにラフ版が公開されてから約四年、心よりお祝い申し上げます。

こちらからは以上です。