白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

野次馬と責任とテンダラー

いつもお世話になっております。すが家しのぶです。

突然ですが、皆さんは野次馬になったことがありますか。自分の身近なところで、何か事件や事故が発生したときに、その場で困っている赤の他人に救いの手を差し伸べることなく、一定の距離を保ちながらボンヤリと様子を伺うような経験はありますか。私はあります。何度もあります。良くないことだとは分かっているのですが、なかなか好奇心を上手く抑えることが出来ず、無責任な第三者としての立場から、ついつい事態の全貌を目に焼き付けようとしてしまいます。

ただ、野次馬といっても、決して当事者のことを嘲笑するような気持ちにはなりません。むしろ同情しています。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。こんなことが起きてしまったら、後が大変だろうな。自分もこんなことにならないように気を付けなくてはならない……と。あくまで助けようとはしないだけで、心の中ではちゃんと心配しています。とはいえ、それは果たして、本当に心配しているのだろうか、という疑念も捨てきれません。心配する素振りを見せることで、ただの野次馬になってしまっている自らの愚かさから目を背けようとしているだけのような気もします。

野次馬といえば、古典落語の『たがや』を思い出します。生前、立川流家元・立川談志は『たがや』について、「この落語の本質は野次馬の無責任ではないか」と語っていたそうです。大勢の人でごった返している両国橋でたが屋と侍が揉め出して、とうとう刀を抜いての大立ち回り。対するたが屋は丸腰ながらも大健闘しますが、最後は侍に首を斬られてしまいます。その首が、斬られた拍子にポーンと空高く飛び上がると、それまでたが屋を応援していた野次馬たちの中から、「上がった上がった上がった!たぁ~が屋ぁ~!」と、まるで花火が打ち上がったときのような掛け声が……。この、状況に応じてあっさりと手のひらを返す無責任さこそ野次馬の本来の姿で、『たがや』はそれを浮き彫りにしたものである、とのこと。

それを踏まえると、話題のニュースに対してSNSにおいて持論を発信する行為もまた、野次馬的といえるのかもしれません。その瞬間、確かに私自身は、お笑い評論家などというトンチキな稼業を名乗っている者として、そのニュースに関する情報を真剣に発信しているつもりにはなっていますが、それはやはり過激に糾弾されない立場だからこそ言えること。これがもし、なにかしらかの研究で知られる著名な学者だとか、ある地域においては多大なる権力を持つ政治家だとか、創作物で大衆を魅了する作家・芸術家だとかのような、世間に影響力のある立場であった場合には、無責任で自己満足の域を出ない持論など、そう易々と世間に提示できるわけがありません。それこそ即座に批判の的となったことでしょう……無責任な野次馬たちの。

もうひとつ、野次馬といえば思い出すのは、テンダラーのコント『殺人現場』。初出は不明ですが、彼らが『爆笑オンエアバトル』へ初めて出場した時に、このネタを披露していたようです。現在は2008年4月に行われたベストネタライブの模様を収録した『$10 LIVE ベストコントヒッツ!?』にて視聴することができます。そういえば、今や漫才師としてのイメージがすっかり定着している彼らですが、当時はむしろコントをメインに活動するコンビでした。関西ではやはり漫才の需要の方が高いのかしら。

舞台は路上で起こった殺人事件の現場前。立入禁止と書かれている札を掛けたロープが張られています。ロープの前には警察官(白川)が一人。一般人がうっかり立ち入らないように、見張り役として目を光らせています。と、そこへ偶然にも通り掛かったのは、ランドセルを背負った好奇心旺盛な小学生の少年(浜本)。何を言うでもなく、さりげなくロープの内側に入り込もうとします……が、すぐさま警察官に止められてしまいます。ミッション達成ならず。実は少年の自宅は事件現場を抜けた先にあり、ここを通り抜けないとかなり遠回りをすることになるのです。というわけで少年は、ありとあらゆる手段を駆使して警察官の目をかいくぐり、ロープの内側への侵入を試みます。

「警察官に怪しまれないようにさりげなくロープの内側に入るためにはどうすればいいのか?」というお題に対して様々な回答を提示する、大喜利スタイルのコントです。シャツのポケットに忍ばせた昆布を警察手帳に見立てて刑事の振りをしたり、ロープに銭湯の暖簾をかけて番台を抜けるようにくぐったり、とにかく視覚的な面白さに満ち溢れています。誰が見ても面白い、明るく楽しい愉快なコント。しかし終盤、捜査本部から流れてきただろう無線連絡によって、その場の空気は一変。なんと、その殺人事件の被害者は……。

このコントに登場する少年は、厳密にいえば野次馬ではありません。ですが、仕事を全うしている警察官に対する態度は、まさしく野次馬そのものです。身勝手で煩わしくて無責任。責任がないからこそ、事件に対して無作法な態度を取ることが出来るわけですね。ですが、いざ無責任のハシゴを外されてしまう……その事件と自分自身が無関係ではなくなってしまう……と、一気に状況は引っ繰り返ってしまいます。その立場は意外と脆弱で危ういです。だからこそ、たとえ野次馬とはいえども、野次馬らしく、あくまでも無責任な者としての立場を自覚しなくてはなりません。

このような話を聞かされると、「いや、私たちにも、自由に意見を主張する権利がある」と主張される方もおられるのではないかと思われます。無論です。自由です。ですが、自由には責任がつきものです。今や、有名無名を問わず、自分の意見を主張できる時代だからこそ、誰もが言葉に責任を背負う義務を持っている筈です。あなたが今、まさに野次馬となって罵詈雑言を浴びせている相手は、数年後のあなた自身なのかもしれませんよ。「そんなことは有り得ない」と思われるかもしれませんが、十年以上前に演じた未熟な時代のコントの台詞で大きな仕事を解任させられた演出家だっているのですから、あなたの今の発言が数十年後に批判されてしまう可能性だってゼロじゃないでしょう。だからこそ皆さん、ちゃんと自分の言葉には責任を持たないと、いつ首を(スパッ)

上がった上がった上がった! すぅ~が家ぁ~!