白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

さらば愛しの『メルマ旬報』。

『メルマ旬報』が終わる。

編集長である水道橋博士による参院選での当選を受けて、会社が「特定の政治家が編集長を務めるメディアを運営することは出来ない」との判断を下したことが大きな理由らしい。「別にええやないか」という気もするし、「しゃーないなあ」という気もする。とはいえ、今回のことがあろうとなかろうと、永遠に続くものなんてこの世には存在しない。そういうものである、と受け入れるしかないだろう。

とはいえ、『メルマ旬報』が終わるという報せは、私の心を少なからず揺さぶるものだった。というのも、『メルマ旬報』の存在を知ったその日から、いつか『メルマ旬報』に原稿を送りつけてやろうと、密かに思い続けていたからだ。

個人的な昔話をする。

今から十五年ほど前、大学生だった私は「お笑いに関する文章でメシを食えないものか」と考えていた。当時の私は、今よりもずっとブログに対して熱を入れていて、文章に対する自信もそれなりに持っていたのである。とはいえ、プロのライターになろうなどということは、さほど考えていなかった。自分の興味の対象となるもの以外のものについては、まったく筆が進まなかったからだ。あくまでも、お笑いに関する文章で稼ぎたい。

というわけで、“お笑い評論家”を目指すことにした。

ひとまず現役のお笑い評論家たちの文章を読み漁った。最初に手を出したのは高田文夫である。高田先生はお笑い評論家を名乗ってはいなかったが、お笑いに関する本を数多く出版していた。特に『毎日が大衆芸能』シリーズは熱心に読んだ。様々な芸能について、スマートかつ軽やかに綴っている文章に、まんまと憧れを抱いた。続いて読んだのは吉川潮。吉川先生はお笑い評論家ではなく演芸評論家を名乗っていたが、似たようなものだろうと思い、手を付けた。芸人たちのエピソードをまとめた『突飛な芸人伝』が面白くて、何度も読み返した。ネタだけでは見ることの出来ない、芸人の生きざまを学んだ。この他にも、色々な筆者の本を読んだ。西条昇、広瀬和生、堀井憲一郎……。

そして気付いた。専業のお笑い評論家と呼べる人が一人もいないことに。

例えば、高田文夫構成作家として、吉川潮は小説家として、それぞれ既に一定の地位を築き上げている。西条昇構成作家出身だし、広瀬和生は音楽雑誌の編集長を務めている。いわば、その大半の人たちが、お笑いに関する文章を書く仕事とは別の仕事に就いていて、芸能の世界に足を踏み入れていたのである。そのこともあってか、彼らの文章はいわゆる観客の視点から更に一歩踏み込んだ、対象となる芸人に直に取材できる立ち位置から書かれていた。これは自分のようなド素人には決して書けるものではなかった。

しかし、逆にいえば、それは鉱脈でもあるように思えた。お笑い評論が関係者目線による文章をメインに広まっているジャンルであるとするならば、徹底的に観客の目線に固執した文章が手薄になっているのではないか。そこから鋭い批評を書くことが出来れば、彼らのように芸能の世界と繋がっていなくても、いずれは評価されるようになるのではないか。当時の私はそのような考えに至ったのである。無論、今となっては、その考えが間違いだったことに気付いている。いわゆるアマチュア目線の記事は、週刊誌に掲載されているコラムとして書き捨てられていることを知っているからだ。

とにもかくにも、そういう考えに至った私だったが、それはそれとして一つの問題が発生する。徹底的に観客の目線に固執した文章を世に送り出すために、何を目標とすれば良いのかが分からない。小説、俳句、短歌などといったジャンルで世に出ていこうとするならば、ひとまず、それぞれの専門誌に投稿するという手段を見出すことが出来る。だが、こちらが書きたいのは、お笑いに関する文章である。当時、お笑い芸人の専門誌はあるにはあったが、どことなくアイドル雑誌の流れを汲んでいるような雰囲気を醸し出していて、そういった文章を求めているようには思えなかった。

そこで当時の私は、最も精神的に気楽な方法を選択する。ひたすらにブログでお笑いに関する記事を書き続けて、いずれ編集者に見つけてもらおうと考えたのである。なんとも能天気な話だ。ただ、これもまた、まったく有り得ない話ではなかった。当時のブログは今よりもずっと注目度が高く、ブログで発掘されてライターになった人も少なくなかったからだ。私はいずれ誰かにフックアップされることを信じて、ひたすらにブログを更新し続けていた。

そんな最中に、『メルマ旬報』の存在を知った。

水道橋博士が編集長を務めている『メルマ旬報』には、様々なジャンルのエンターテイメントに関する文章が掲載されていた。テレビ、ラジオ、映画、音楽、スポーツ、プロレス、落語……その無差別的ごった煮になっている様が、私にはとても魅力的に感じられた。そして思った。「ここでなら自分のような人間にも書かせてもらえるかもしれない」。『メルマ旬報』では寄稿文を募集していたことも都合が良かった。だが、実際に執筆されている文章を読んで、私のやる気は消沈してしまった。面白い。あまりにも面白い。面白すぎる。「自分のレベルでは、このメンバーには太刀打ちできない」。そう判断せざるを得ないぐらい、いずれの文章も凄まじく面白かった。

それからは、「いつかは『メルマ旬報』に相応しい文章を書ける人間になるぞ」という意識を頭の片隅に置きながら、文章を書くようになった。そして、いつか自分の納得のいく文章を書くことが出来たならば、思い切って寄稿してみようとも思っていた。だが、そういうことを考えている人間は、往々にしてその第一歩を踏み出すことが出来ない。私もそういう人間だったのである。

そうして足踏みを繰り返している間に、『メルマ旬報』終了である。結局、私は、目の前にぶら下げられたニンジンを追い続けるだけで、それにかぶりつくことは出来なかったのである。とはいえ、その熱意があったからこそ、『読む余熱』メンバーに食い込むことが出来たのではないか、と考えられなくもない。

そういう意味で、本当にお世話になりました。ありがとうございました。また博士がなんかしらかやらかして、紆余曲折を経て本誌復活というようなことがあったときには、よろしくお願いします。ふはははは(最後の最後で都合の良いことを言っている自分に苦笑い)。

「キングオブコント2022」準決勝進出者が決定!

今年もこの季節がやってまいりました。

【昨年大会のファイナリスト】
ザ・マミィ(昨年2位)
ニッポンの社長(昨年4位)
蛙亭(昨年6位)
うるとらブギーズ(昨年7位)
そいつどいつ(昨年8位)

優勝した空気階段、メンバーの海野が休養中のジェラードン(昨年5位)、M-1王者のマヂカルラブリー(昨年9位)、バラエティに引っ張りだこのニューヨーク(昨年10位)は不参加。なんといっても衝撃は昨年2位・男性ブランコの敗退。ザ・マミィと同様、今年の優勝候補と目されていたコンビが、よもや準々決勝で散ることになるなんて。波乱です。

 

【その他の歴代ファイナリスト】
かが屋
GAG
ジャングルポケット(昨年辞退)
ゾフィー
ななまがり
ネルソンズ
ビスケットブラザーズ
やさしいズ
ラブレターズ(六年ぶり)
ロングコートダディ

昨年、久しぶりに賞レースへと乗り出した、アルコ&ピースとロッチは不参加。アキナ、ザ・ギース、ジグザグジギー、しずる、だーりんず、滝音、2700、にゃんこスターパーパー、バンビーノ、モンスターエンジン、ロビンフット、わらふぢなるおが準々決勝敗退。注目は2016年以来の準決勝進出となるラブレターズ。深夜のバラエティ番組では、イジられ役になりがちな彼ら。コント師としての本領発揮となるか。

 

【二年以上連続準決勝進出】
コットン(3年連続4回目)
ダンビラムーチョ(3年連続3回目)
TCクラクション(3年連続3回目)

昨年は四組の決勝進出組を輩出した連続決勝進出組ですが、今年はなんとたったの三組。しかし、そのいずれも、ラフレクランから改名したコットン、野球あるあるネタでほのかに注目を集めているダンビラムーチョ、『ゴッドタン』でブレイクしそうでしなかった曇天三男坊が属するTCクラクションと、なかなかに個性的なラインナップとなっております。今年こそ、今年こそ念願の決勝進出を目指す。

 

【返り咲き】
相席スタート(2020年以来7回目)
カゲヤマ(2019年以来2回目)
サルゴリラ(2020年以来2回目)
スーパーニュウニュウ(2015年以来2回目)
ファイヤーサンダー(2020年以来2回目)
や団(2019年以来6回目)

M-1ファイナリストの相席スタートABCお笑いグランプリ優勝のファイヤーサンダーと、なかなかの実力者が揃っている返り咲き組。その中でも注目したいのは、今回でなんと六度目の準決勝進出となるや団。ハリウッドザコシショウ、バイきんぐ、アキラ100%、錦鯉など、数々の賞レース王者を擁するSMA所属のコント師として、先輩たちの後に続きたいところ。

 

【初の準決勝進出】
青色1号
いぬ
イノシカチョウ
金の国
クロコップ
最高の人間(岡野陽一+吉住)
サスペンダーズ
スパイシーガーリック
フランスピアノ
ヨネダ2000
隣人

おいでやすこが、霜降り明星、チョコンヌ(チョコレートプラネット+シソンヌ)、ヤギとひつじ(間寛平村上ショージ)などなど、メジャー感漂う顔ぶれが並んでいた昨年の初準決勝進出組に対して、今年はしっかりと若手が中心。とはいえ、青色1号、サスペンダーズ、フランスピアノ、ヨネダ2000、隣人と、既にその実力が注目を集めているユニットが大半です。そんな中、否が応でも注目せざるを得ないのは、R-1ファイナリストの岡野陽一とTHE W女王の吉住による謎のユニット・最高の人間。スペシャルユニットならではの破壊力に期待が高まります。

以上、35組が準決勝進出を果たしました。

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『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』(いしいひさいち)

どえらい作品について感想を書くときには、いつも「どえらい作品を目の当たりにした!」というシンプルな一言だけで済ませることが出来ればいいのにな、と思っている。それが自分にとっての率直な感想だし、何も知らない人がそのどえらい作品のどえらいところに何の前情報もないまま触れてほしいからだ。余計な言葉なんて、なるべく付け加えたくはない。

だが、作品の感想を公開するということは、イコール、不特定多数の未知なる読者がその作品に触れるきっかけとなってほしい、ということでもある。で、そうなると、「どえらい作品を目の当たりにした!」という一言では弱すぎるのである。そんな単純なコメントで大衆が動くのであれば、ドラマ仕立てのくせに中身のない雰囲気だけのつまらないコマーシャルなど作られることはないだろう。

というわけで、本来ならば「どえらい作品を目の当たりにした!」で済ませたい作品について、これから書く。本当にどえらい作品である。

いしいひさいちという漫画家がいる。貧乏学生たちの生態を切り取った『バイトくん』、実在する野球選手たちの生活をマヌケに描いた『がんばれ!!タブチくん!!』などの作品で知られる四コマ漫画家である。この他にも、政治モノ、ミステリーモノ、時代劇モノ、SFモノ、哲学モノなど、さまざまなジャンルの四コマ漫画を無節操に描いていたのだが、2009年に体調を崩し、現在は朝日新聞紙面で連載されている『ののちゃん』をメインに描いている。

どこにでもありそうな家族“山田家”のドタバタ生活のエピソードが中心となっている『ののちゃん』は、一見すると、既存の新聞四コマ漫画の類型であるかのように思われるかもしれないが、その内容は時にアグレッシブ。どこぞの球界の盟主に似た顔つきの町会長が“ワンマンマン”として困っている人の元へと助けに現れたり、何の脈絡もなく「スペインの雨は広野に降る」と口走ったり、いわゆる“もったいないおばけ”が具現化して山田家を出入りしたり、いわゆる日常モノの範疇を超越した要素がしれーっと投げ込まれるのである。スパイスにしては粒がデカいぞ。

その中でも、個人的に最も驚かされたのは、山田家の長男・のぼるのクラスメートとして登場した謎の美少女、富田月子がのぼるからファーストキスを奪う回である。怪異のような存在である富田による思わぬ行動は、新聞で掲載されている作品とは思えない魅惑的展開だった。

そんな富田月子よりも多くの読者を驚かせたキャラクターがいる。ファド歌手を目指す高校三年生、吉川ロカである。その衝撃について、漫画家のとり・みき氏が『いしいひさいち 仁義なきお笑い』に寄せた原稿の中で、次のように語っている。

いや まったく…
長年いしいマンガを読んできて
まさか作中の女性キャラに恋しようとは

吉川ロカの物語は、これまた唐突に始まった。ファド歌手を目指す女子高生・吉川ロカと、不良娘で言葉遣いは乱暴だが彼女のことをひっそりと支える年上の同級生・柴島美乃の日常。そもそも『ののちゃん』において、山田家とは関わりのない人物が中心となった作品が公開されることは、さほど珍しいことではなかったため、この唐突な始まりも違和感無く受け入れられたことだろう。

ただ一点、山田家の物語と吉川ロカの物語には、明確な違いがあった。山田家の物語は、『サザエさん』や『コボちゃん』などの他の四コマ漫画作品と同様、時間の経過が描かれなかった。なので、ののちゃんはいつまでも小学生で、クラスメートの顔ぶれも担任の藤原先生も変わることがなかった。だが、吉川ロカの物語には、明らかな進展があった。歌のレッスンを始め、ミュージシャン仲間と出会い、着実にファンを増やしていき、遂には事務所の目に留まる……その到達点を目指して歩みを進めている様が、はっきりと描かれていたのである。

吉川ロカの物語は、一部のファンから多大なる支持を集め、作者であるいしいひさいち本人も気に入っていたようなのだが、普遍的な四コマを求める朝日新聞の読者には大変に評判が悪く、2012年にひっそりと幕を下ろすこととなった。

それから十年後となる2022年。一度、幕を下ろしたはずの吉川ロカの物語が、突如として蘇る。なんと、いしいひさいちが自身のホームページにおいて、吉川ロカのエピソードのみを集めた単行本の発売を開始したのである。とり・みき氏ほどではないが、吉川ロカの物語にある種の愛着を感じていた私は、すぐさまこれを手に入れた。一冊1,000円ということで、いわゆるところの“薄い本”のような仕上がりを予想していたのだが、いざ手に取ってみるとしっかりとカバーの付いた単行本になっていて、この時点で少し感動してしまった。感情が忙しい。タイトルは『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』。

物語は吉川ロカと柴島美乃の出会いで幕を開ける。歌手を目指しているロカは、その夢を叶えるために、活発的な行動を見せる。音楽の先生から歌のレッスンを受けたり、バイト先で見かけたストリートミュージシャンの人に声をかけたり、誰も客のいない路上でストリートライブを敢行したり……その道は確かに自らの力で切り開いたものだった。そんな彼女の心の支えになっていたのが、美乃だ。時にロカの相談を聞いてあげたり、時にロカとファド歌手のライブを一緒に観に行ったり、オーディションの打ち合わせ会場に向かうためのバスを乗り間違えたロカを追いかけたり……美乃がいなければ、夢へと向かうロカの道は途中で途絶えてしまったかもしれない。この物語は、ロカの物語であると同時に、二人の友情を描いた物語でもあるのだ。

……と、このように説明すると、なんともありがちでベタな話であるように捉えられるかもしれない。だが、よく考えてほしい。この物語を描いているのは、あの、いしいひさいちなのである。ありとあらゆる事物をネタにして笑いへと昇華することを生業とした、四コマ漫画家が描いているのである。その内容は決して感傷的にはならない。そこには常にギャグがいる。むしろメインはギャグであって、その向こう側に物語が描かれているというべきなのかもしれない。だからこそ、だからこそ……終盤の展開に胸を打たれる。この物語の終着点を「それ」にしたという事実に。そして迎える、ラスト1ページの意味するもの。そこには細かい説明などはない。シンプルな結果だけが存在している。こんなもん見せられたら、泣くに決まってるじゃないか!

細かいことは書かない。とにかく読んでほしい。まったく、どえらい作品である。

これは、
ポルトガル
国民歌謡『ファド』の
歌手をめざす
どうでもよい女の子が
どうでもよかざる能力を
見い出されて花開く、
というだけの
都合のよいお話です。

   『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』前文より

・追記(2023年8月)

『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』が電子書籍になりました。

みんなで読みましょう。

エピソード集も出ますよ!

『「たま」という船に乗っていた』(石川浩司・原田高夕己)

日曜の夜に放送されている「関ジャム 完全燃SHOW」という番組をたまに見ている。誰もが知るヒットソングや日本の歴史に名を残すであろうトップアーティストの素晴らしさについて、プロのミュージシャンが語り尽す番組である。巧みな歌詞やコード進行、メロディラインなどなど、アマチュアでは気付かないような微細だけれど確かな効果を発揮している要素をきっちりと解説していて、正真正銘のアマチュアである自分は「なるほど、そういうことなのかー」と首がもげるんじゃないかというほどに頷きながら見ている。

ただ、その一方で、番組を見ていて違和感を覚えることもある。確かに、音楽の定番のパターンを理解していれば、素晴らしい音楽を理論的に解説することは可能だろう。でも、音楽というのは、もっと感覚的に生み出されるものなのではないだろうか、理論だけに基づいて構築されるものではないのではないだろうか……と。否、むしろ、そういった「感覚で理解してこそ音楽」という思想が先行しているからこそ、「関ジャム」のような番組に需要が生じているのだろう。とはいえ、この言葉でのコミュニケーションが主要なインターネットの時代において、ありとあらゆるジャンルにおいて理論が先行してしまっている実感もある。

そんな時代に、まったく時代錯誤な漫画が生み落とされた。その名も『「たま」という船に乗っていた』。「たま」とは、1980年代から2000年代にかけて活動していたバンドの名称である。1989年に『三宅裕司いかすバンド天国』に出演、その圧倒的な存在感と独自の音楽性でお茶の間に衝撃を走らせ、1990年にメジャーデビューを果たした。当初のメンバーは、パーカッションの石川耕司、ギターの知久寿焼、オルガンの柳原幼一郎、ベースの滝本晃司の四名だったが、1995年に柳原が脱退し、2003年に解散するまで三名で活動を行っていた。

「たま」という船に乗っていた』は、たま解散後の2004年に出版された石川による自叙伝である。当時はあまりにも売れなかったため、ほどなくして絶版となってしまったのだが、どういういきさつかは分からないが、この令和の時代にコミカライズされたものが本作である。本書には19歳の石川が「たま」を結成して「いか天」に出場するまでの様子が描かれており、以後の出来事についても描かれる予定らしい(「webアクション」連載中)。

本書で描かれている石川を中心とした面々のエピソードがとにかく面白い。仲間にレコードを盗まれたり、イタズラ電話のように無差別に電話を掛けて無理矢理自作の音楽を聴かせたり、若かりし日の出来事だからこそ速やかに受け止めることの出来る話が少なくない。石川の代名詞である「坊主頭にランニングシャツで太鼓を叩く」というスタイルが出来上がっていくに至るまでの経緯も描かれているのも良い。あれほどまでに完成された姿が、誰かに影響されたのではなく、全ては結果的に生まれたものだったとは……。

これらのエピソードがメインで描かれている本書だが、同時に見逃してはならないのが、バンドの演奏シーンなどの場面で掲載される、当時の彼らが綴っていた歌詞である。これにとにかく面食らった。理論だのなんだのいうものを吹っ飛ばしたかのような、とんでもない歌詞なのである。言うまでもなく、当時の彼らには当時の彼らなりの理論があって、そこから生まれた曲だったのだろうとは思うのだが、それを差し引いてもキョーレツなのだ。とりわけ衝撃的だったのは第29話「“らんちう”たま」の回。「いか天」に出場したたまが、自身のオリジナル曲である『らんちう』を演奏するシーンだけで構成された回なのだが、『らんちう』の歌詞と、それを演奏するたまのトリップしているかのような姿を電撃的に描写した原田高夕己の画力が混ざり合って、より一層のとんでもなさを見せつけているのである。なんだこれは!?

なにかと批評的な視点で対象を解体して理論を培っていくことが先行しがちな現代において、内なる心のままに歌い続けてきた人たちの生き様を辿った本作は、そんな時代に合わない人たちに向けられた一種の処方箋といえるのかもしれない。これを絶対的に正しいとは言わないが、少なからず学ぶところは多いだろう。

春だ 春が来たんだ
春だ 春が来たんだ
怨念こめて また春がはじまる!

   石川浩司「春が来たんだ」

「THE CONTE」(2022年8月7日)

サンドウィッチマン「キャンプ」
空気階段「催眠」
バイきんぐ「飲み会」
ライス「雷」
かもめんたる「I 脳 YOU.」
【オーディション枠】ゼンモンキー「アウトドアショップ」
しずる「教育」
チョコレートプラネット「推理」
東京03「アイデアマン」
ロッチ「罪と罪」
アンガールズ「人生観」
ザ・マミィ「ディープキス」
シソンヌ「天ぷらにする?」
かまいたち「告発」
ゾフィー「オーラの告白」

フジテレビ系列で放送されている漫才特番『THE MANZAI』を明らかに意識したタイトルの番組が始まると知ったときは、「おおっ、TBSもやるやないけ」と感心したのだが、よくよく確認してみると、こちらもフジテレビの特番だと気付き、反射的にズッコケてしまった。「キングオブコント」を開催している放送局でこそ立ち上げられるべき企画だろうに。なにせ出演者を見ると、全組が「キングオブコント」ファイナリストである。パーソナリティも歴代王者の東京03かまいたち。完全に「キングオブコント」が輩出してきた面々を引っ張り込んでいる。TBSとしては「キングオブコントの会」をやっているから良いのである、という了見なのだろうか。

肝心の番組内容はというと、これが実に絶妙。日曜の夜に気を抜きながら楽しむにはちょうど良いバランス感のコントが披露されていた。斬新なネタを求めているお笑いファンには些か退屈に思えるところもあっただろうが、今後もこの番組を定番として継続していくつもりなら、このぐらいの塩梅が良い。そんな中、アグレッシブなネタを見せてくれたのが、バイきんぐとしずる。「人を傷つけない笑い」が提唱されている令和の時代において、破壊衝動を心のままに爆発させたようなコントを披露していた。理屈なんかいらねえ、何もかもぶっ壊せ。対して、本来ならば彼らのように破壊的なコントを得意としていたかまいたちが、なんだかオーソドックスなコメディを演じていたのが、ちょっとだけ残念だった。アレはアレで良いのだけれど、それをかまいたちが演じる必要性とは。

個人的に一番笑ったのはザ・マミィ。酒井が恋人とディープキスをしていると、そこへ林田が駆け込んできて、助けを求めてくる……という、空気の読めなさと起こっている事態の緊張感のバランスが絶妙な、なんともバカバカしい設定のコントで、ずっと笑っていた。あんまりコミュニケーション能力が高くなさそうな酒井が、恋人と熱い口づけを交わしている画だけでも笑えるのに、そこに突っ込んでくる林田のツラの皮の厚さよ。今年のキングオブコント男性ブランコの優勝だと確信していたのだが、これはちょっと分からなくなってきた。面白いネタを見せてくれることに期待を寄せよう。

ひとつ、本当に残念だったのは、ゾフィーのコントがローカル枠に入れられていた点である。はっきり言って、有り得ない。

コントをメインとした番組で、コントを愛する芸人たちがパーソナリティを務めていて、芸人たちによる副音声解説まで詰め込んで……ここまでコントに対する愛を表現している番組の、本当に最後の最後で、どうしてそんな非道なことをやらかしてしまうのか。仮に、これがオーディションで惜しくも合格できなかった次点の芸人のネタを、特別にローカル枠でオンエアするという対処であったならば、まだ納得は出来る。正直、ネタ番組の特番において、若手のオーディションを組み込むことで番組の価値を上げようとする姿勢の傲慢さについては以前から引っ掛かっているのだが、それはそれとして理解は出来る。でも、この番組は、そんなローカル枠に、事前に出演することが告知されていたゾフィーを入れてしまったのである。それはダメだろう……? 告知を見て、ゾフィーのコントを楽しみにしていた視聴者の気持ちを踏みにじるようなことを、どうしてやってしまったのか。まったくもって残念でならない。

この一点については改善してもらいたいが、後はおおむね楽しかった。次回の放送も楽しみにしている。

2022年8月のリリース予定

24「コント犬~DVD-BOX~ (初回生産限定版)(4枚組)

いつもお世話になっております。すが家です。

気が付けば夏ですね。新型コロナウィルスに感染してしまって、七月の前半をショートカットしてしまったせいか、夏の暑さは確かに感じているのですが、なんだかまだまだ夏が到来していないかのような錯覚に陥っている今日この頃です。でも、しばらくしたら、もうお盆休みなんですよね。皆さんはどのように過ごされる予定でしょうか。私は基本、家でグータラ引きこもることになるだろうと、想定しています。せめてDVDレビューぐらいは進めていきたいものですが。

そんな八月のリリース予定ですが、今のところ、コント犬のDVD-BOXぐらいしか気になるものがありません。過疎ってますねえ。コント犬とは、男性ブランコの平井まさあき、サンシャインの坂田光、やさしいズのタイ、空気階段の水川かたまり、そいつどいつの松本竹馬の五人による、コントユニットの名称です。この奇妙な名前は「コントだけで犬を養える生活を目指す」という意図から付けられたものだそうです。家族ではなくペットというところが控えめですね。

今回、ソフト化されるのは、「コント犬~妻恋坂に犬がなく~」(2021年3月公演)、「コント犬~浜果実の事実~」(2021年7月公演)、「コント犬~アダマスのピリオド~」(2021年11月公演)、「コント犬~花餅、鳴る~」(2022年4月公演)の四公演。ボックス形態だけではなく、単巻でのリリースもあるようです。それぞれまったく違った芸風のコンビを背負う人たちによる公演は、果たしてどのような化学反応を起こすのでしょうか。今から楽しみですねえ。

ちなみに、スペシャルユニットによる公演のソフト化は、過去に『ラ★ゴリスターズDVD’09』や『「できる7人」コントライブ』や『チョコンヌ2020』、もっと古いところでいえば『バナナマン・ラーメンズ・おぎやはぎ ライヴ!!君の席-SPECIAL SIX SEATS- 』などがあります。探せばもっとあるんじゃないかしらんね。ただ、DVD-BOXでリリースされるのは、なかなかに異例のことと思われます。これからの活躍を期待されているメンバーなんでしょうかねえ。

追記。8月6日に流れ星のDVDが出ていたようです。

新型コロナウィルスに感染してしまった件について。

どうも、すが家しのぶです。

突然ですが、新型コロナウイルスに感染してしまいました。

六月三十日に発熱し、翌日に検査を受けるも陰性。とはいえ大事を取って、しばらく自宅に引きこもり、熱の状態が落ち着いてきたところで、改めて検査を受けてみたところ、遅ればせながら陽性反応が出てしまい、更に十日間の療養期間を設けることに。陽性反応が出てからは、軽度の発熱、咳、喉の痛み、痰などの症状がありましたが、寝込んでしまうほどのことではなく、結果的に盆暮れ正月以上に長い連休を過ごすことになったのでありました。いや、それなりには、しんどかったんですけどね。

今回は、そんな私の感染発覚までの経緯と、それからの話の流れについて記録したいと思います。記録といっても長い文章にしたくないので、箇条書きみたいな感じにします。するつもりです。そういう風になればいいな、と思ってます。なにせ長々と文章を書き連ねるクセがあるものですから。今まさに伸びてますね。やめよう。

以下、記録。

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「ヒコロヒー「best bout of hiccorohee」」(2021年9月22日)

2021年7月10日に北沢タウンホールで開催された単独ライブを収録。

ヒコロヒーは松竹芸能所属のピン芸人である。大学二年生の時に松竹のマネージャーからスカウトされ、特待生として養成所に入所。この時、きつね、Aマッソらと知り合う。卒業後の2011年に事務所所属、2014年に上京。2019年に元ピーマンズスタンダードで今はピン芸人として活動しているみなみかわとのユニット“ヒコロヒーとみなみかわ”を結成し、M-1の予選に出場。そこで披露したジェンダーバイアスをテーマにした漫才で注目を集める。2021年に齊藤京子(日向坂46)とのトークバラエティ番組『キョコロヒー』の放送を開始、ブレイクタレントへの道を駆け上がる。同年、単著『きれはし』を出版。

本作は、そんなヒコロヒーの本業の一端である、ピン芸人としてのパフォーマンスを収録したベスト盤である。通常のバラエティ番組では見せないような、個性豊かなキャラクターたちが登場する14本のネタが収められている。

設定も多種多様。手術を控えている少年の元へ、女子プロ野球の選手がお見舞いにやってきて、いわゆる例の約束を交わすことについて意見する『女子プロ野球』。戦争の辛い体験について話しているのに聞こうともしない孫への対策として、おばあちゃんが取った手段とは……『おばあちゃんの夏休み』。貧しい村に田植えを教えに来たボランティアの女性が、現地人の奔放な振る舞いに怒りを爆発させる『海外ボランティア』。村で一番美しい生娘が生け贄に捧げられる掟で選ばれた女が、その運命に身を委ねながらも、自分が八番目だったことについてボヤき倒す『村の生贄』。オリジナリティを追求してスランプに陥った漫画家の苦悩を聞かされ続けてきた編集者が、とうとう胸の内に秘めていた本当の気持ちを打ち明ける『軽井沢』。登山中に吹雪に見舞われて遭難しかけていた女性が飛び込んだのは、至るところにこだわりを持つ老夫婦のロッジだった!『遭難』などなど……。

これらの中でも印象に残ったネタが『自分探し』と『懺悔室』。

『自分探し』は、将来に不安を感じるようになったアラサー女性が、思い切ってインドへ自分探しの旅に出ようと飛行機に飛び乗ったところ、そこでうっかり運命的な出会いを果たしてしまうコントである。結果、彼女は自分の本当にやりたかったことを見つけてしまう。これからインドへ飛び立とうとしている飛行機の中で。目的が果たされてしまった今、彼女はまだ気付いていなかった自分の人生の課題について考え、インドに行く理由を模索する。絵に描いたような本末転倒ぶりが、たまらなく面白かった。

一方の『懺悔室』は、十年に渡って水商売を続けている女が、本音を言わずに目の前の男性客を喜ばせるような態度を取り続けている自分は不誠実なのではないか、と懺悔室の中で神父に告白するコントである。ところが、この神父の様子が、どうもおかしい。女が話していること以上の話を、延々と返し続けるのである。やがて女は神父に対する不満を爆発させる。「仕事させんのか?お前まで私に仕事させんのかって聞いてんねん!」。女のトークに対して男がマウントを取る姿勢に対してツッコミを入れる構図が如何にも現代的だし、例えツッコミのキレ味も鋭い。ヒコロヒーが芸人として求められている姿をそのままコント化したようなネタである。こういうのをテレビでやったら、一部の層からウケそうだ。

シチュエーションは様々だが、これらのコントは一貫して不満と苛立ちが渦巻いている。興味深いのは、その不満や苛立ちについて、大衆に合わせる視点を設けていない点である。例えば、『家庭教師』のコントでは、女子大生の家庭教師という男子生徒にとっては魅力的な存在であるにも関わらず、まったく魅了することが出来なかったことをストレートにボヤいてみせる。その主張は明確に不純だ。だが、主張の危うさに、ヒコロヒーはまったく怖気づかない。まるで、その立場の人間には、その立場の人間ならではの主張があり、それはどんなに正しい第三者の視点にも侵されるべきではない、と主張するかのように。

この思想(と決めつけられるものではないかもしれないが)が今の時代と上手くマッチしているからこそ、ヒコロヒーは世間に受け入れられているのかもしれない。……もっとも、彼女の考え方と世間の方向性に少しでもズレが生じたとき、あっという間に手のひらを返されそうではあるが。無論、手の平を返すのはヒコロヒーの方ではなく、世間である。昨今の世間が担ぎ上げる神輿はあまりにも軽すぎる。とはいえ、それでも平気の平左で、ヒコロヒーは芸人として生き続けていくことだろう。それぐらいの太い神経が無ければ、こんなに自分を張ったネタなんて作れない。

・本編【71分】
「社交パーティー」「女子プロ野球」「おばあちゃんの夏休み」「海外ボランティア」「葬式」「コント」「家庭教師」「村の生贄」「軽井沢」「自分探し」「象形文字」「懺悔室」「遭難」「至福の時」