白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

マクドを求めて三千里(※嘘)

田舎在住のYouTuberが、自宅から徒歩で二時間かけて最寄りのマクドナルドに旅立つ……という動画を見る。道路沿いを歩いていくのではなく、敢えて足を踏み入れる必要のない山道に突入していることからも分かるように、明らかなネタ動画である。とはいえ、帰りに利用しているタクシーの車窓から見える田舎道から察するに、“自宅から徒歩で二時間”という主題に関しては事実なのだろう。

動画を眺めているうちに、私の脳の引き出しの奥に片付けられていた古い記憶が蘇ってきた。今から三十年ほど前、マクドナルドのハンバーガーを食べるには、自宅から市を二つほどまたがなくてはならなかった。車で片道四十分、往復で一時間三十分ほどかかるような場所にしか、最寄りの店舗が存在しなかったからだ。「どこがファーストフードだ!」と文句のひとつも言いたくなるというものである。自宅と店舗の間に、これだけの距離があると、日常的に利用するのはなかなか難しい。つまり、当時の幼い私が、あの素晴らしきマクドナルドのハンバーガーを食べるチャンスが与えられるのは、両親のうちどちらかが店舗の存在する市になにかしらかの用事で出かけるときだけだった。その機会は少なく、故に、私にとってマクドナルドのハンバーガーは稀少で特別な存在だったのである。

ところが、私が小学三年生ぐらいになったころに、市内に新たなマクドナルドの店舗が開店したことによって、その関係性は一変してしまった。あの素晴らしきマクドナルドは、近所に出かける両親に「マクドナルド買ってきて!」と気軽に頼めるような存在になってしまったのである。そのことに何も問題はない。マクドナルドのハンバーガーは相変わらず美味しいと感じている。何も問題はない。ただ、開店前まで感じていた有り難みは、完全に消失してしまったような気がする。

分かっている。日常化するということは、つまりそういうことなのだ。分かっている。ちゃんと理屈で分かっている。ただ、旅行で都市部に出掛けるたびに、地元に存在しない大型チェーン店を有り難がっている日頃の振る舞いを思い返してみると、なんだか自分ってとっても薄情な人間だよな……と思わなくもない。そう。それを当たり前だと決めつけてはいけないのだ。それを当たり前だと決めつけてしまうところから、傲慢は始まってしまうのだ。

……と、動画が終わるころには、そんなようなことを考えてしまっていた。ちゃんと動画を見ろよ。そういう啓蒙の意図を持った動画じゃないだろ。まったく。