白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

素晴らしきウインナーソーセージに鳴り止まない拍手と喝采を。

実家を出て、本格的に自炊を始めるようになって、驚いたことのひとつに「ウインナーソーセージの値段が高い」というものがある。実家では、母が焼いてくれたウインナーをパリだのポリだのいわせながら食べていたものだが、いざ自分で買おうとすると、これが驚くほど高い。一食分ぐらいの本数しか入っていないような小さな袋が、ワンコインでは収まらないような値段で売られている。「もっと安くしてくれ!」という話ではない。むしろ「もっと我々はウインナーソーセージに敬意を払うべきではないか?」という話である。存在を軽んじているからこそ、価格と対峙したときに「高い!」と感じてしまうのだ。もし、これがステーキ肉であったならば、このような感情を抱くことはなかった筈である。もっとも、その存在を重要に思えないほどに、ウインナーソーセージが親しみやすい存在であることも、また事実だ。目玉焼きの頼りになる従者として朝食の皿を賑わしてくれることもあれば、マヨネーズやケチャップにまみれてパンに挟まった状態で軽食として片手に収まってくれることもある。決して主役に選ばれることはないが鍋の具材として場を支えてくれることもあるし、ちょっとした夜食や酒のおつまみとして活躍する機会も少なくない。その軽さこそ、ウインナーソーセージの魅力ともいえるのだろう。だが、様々な現場に駆り出されているということは、それだけ結果を叩き出しているということである。バラエティ番組での軽妙なキャラクターを真に受けて、売れっ子のタレントをぞんざいに扱うすっとこどっこいなテレビスタッフのように振る舞ってはならないのだ。そんなことを、自分の財布でウインナーソーセージを買うようになって、ようやく気付かされたのであった。

……ちなみに、安いウインナーソーセージも存在するには存在するのだが、それなりに値段の張る製品に比べて格段に味が落ちるので、財布に余裕があるならば、そこそこ高めのものを購入した方が良いと私は思う(ジョンソンヴィルを初めて食べたときの衝撃は今でも忘れられない!)。そこから、高い製品と安い製品の狭間で、適切な価格で満足感を得られるベストな製品を見つける旅が始まるのだ。