先日の『爆笑問題カーボーイ』において、フワちゃんが『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を降板させられた件について、太田光がニッポン放送の姿勢について言及していた。正直、タイミングとしては遅すぎるし、批判内容もベーシックなものではあったのだが、メディアに身を置いている人間からメディアを通じてそういった指摘がなされたことについて、私は勝手にある種の安心感を覚えたのであった(既に粗品がエールのような動画を自身のYouTubeチャンネルで公開していたが)。それほどに、この件について語っている人間が、あまりにも少なすぎた。
この一件において、圧倒的にフワちゃんが悪いことは明らかである。それ自体は揺らぐものではない。ただ、自身の担当する『オールナイトニッポン0』を降板させられ、活動休止にまで追い詰められ、既に出演していた番組からは存在していなかったかのように対処され、更には『オードリーのオールナイトニッポン』のイベント公演を収録した映像ソフトからも出演シーンがカットされるのではないかと危惧されるほどのことを、彼女がやらかしたとは思えない。少なくとも、くだんの発言と矛盾しない彼女のキャラクターをエンタメとして消費し続けてきたメディアが、その責任から目を逸らさせるかのように存在をシャットアウトしている流れについて、疑問視する声があがってもおかしくはないだろう。ところが、大衆の多くは、そんなメディアの対応を「当然のもの」として受け入れている。これまでフワちゃんのキャラクターを消費し続けてきた大衆もメディアも、今回の一件はあくまでエンタメとして一線を超えてしまった個人による失態として切り捨てようという姿勢を取っている。
重ねて、言う。悪いのはフワちゃんである。それは事実である。だとしても、だとしてもあまりに、それはあまりにも、受け手として送り手として非道で無責任な態度だといえやしないだろうか。それでいいのか。フワちゃん自身に謝罪と自己弁護をする場も与えずに切り離すことを是としてしまう社会なのか。番組内で太田氏は、かつて自身がまだフリーとして活動していたころ、ビートたけしの代役としてラジオパーソナリティを務めたときに、放送中と放送後でスタッフから手のひらを反すような対応を取られたことを振り返りながら、「後ろ盾がないと、ああなるっていうのはよく分かる」とコメントしていた。結局はそういうことなのか。そういう風になってしまうのか。そういう風になってしまうことを受け入れてしまうような社会なのか。もっとも、そんなことを今更になって書き綴っている私もまた、大変に無責任であることは言うまでもないのだが、放送を聴きながら、不意に当時の番組リスナーとしての感情を思い出してしまったので、書いた。
追記(同日23時ごろ)。
ニッポン放送の檜原麻希氏が本日の定例記者会見において、フワちゃんについて「お互いの今の状況をきちっと判断した上でああいう結果になった」「その実績は決して消え去るものではなく」と説明した。つまり、『オールナイトニッポン0』の終了は、決して一方的な指令ではなく、お互いに話し合った結果として決められたものである、ということらしい。正直、フワちゃんが活動休止中で表に発信できない状況で、一方からだけ話を聞かされても、鵜呑みにしづらい話ではある。また、どうして今のタイミングで、そういう話題が出たのだろうという疑念もある。ラジオ業界において影響力のある太田氏の発言を受けて……というのは流石に飛躍しすぎな発想だが、それにしてもタイミングが妙に良すぎるように感じられる。もっとも、そのようなことをつらつらと邪推したところで、何が分かるものでもないのだが。疑問点がある、という程度に記録しておく。
とりあえず明確になったのは、『オードリーのオールナイトニッポン』のイベントを収録した映像ソフトにおいて、フワちゃんの映像はどうやらカットされなさそうだということである。「その実績は決して消え去るものではなく」などと説明している以上、その実績のひとつであるイベント出演を無かったことにするなんて対応はしないだろう。いや、マジで頼むよ。