白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

酔っ払いの才能と品格。

二十歳を過ぎて、お酒を飲むことが許されるようになってからも、しばらくは飲酒を控えていた。「自分は酒乱なのではないか」という妄想にとりつかれていたからだ。根拠は祖父である。今は亡き父方の祖父は大変な酒飲みだった。聞くところによると、晩年までビールとウイスキーを割ったものを飲んでいたらしい。一応、そういう類いのカクテルは存在するのだが(“ボイラーメーカー”という)、大雑把で無計画な祖父の性格を思い出してみるに、カクテルと呼べるようなものを丁寧に作っていたとは考えられず、ただただビールとウイスキーを混ぜたものを飲んでいたのだろう。もっとも祖父は酒乱ではなかった。酔っ払うと足腰が立たなくなったし、言わなくてもいいようなことをベラベラと喋ってしまうところはあったが、誰かに暴力をふるったり物を壊したりするようなことはしなかった。とはいえ、酔っ払いの醜態を見せつけられていたという意味では、祖父の存在は当時の私の飲酒観に大きな影響を与えていたことは間違いないだろう。この妄想が取り払われるきっかけとなったのは、大学を卒業してから参加するようになった地元の集会である。田舎の飲み会というと、他人に飲酒を強要するアルハラが平然と行われるものだと思われがちだが、我が地元の集会は何故か不思議とその辺りの感覚がアップデートされていたようで、そういったハラスメントを受けることはなかった。……が、周囲の人間たちが、酒を飲みながら大いに盛り上がっているところを見せつけられていると、少しずつ輪に入りたくなってしまうのが人間というものである。気が付くと、目の前には空になった缶チューハイや瓶ビールがゴロゴロ転がり始め、私はすっかり出来上がってしまっていた。そして幸いにも、私は酒乱ではなかったようで、それから今日に至るまで暴力的な行為に及んだことは一度もない。酔い潰れて他人に迷惑をかけたこともない。ただ、酔っ払っていると、インモラルに関するブレーキが外れる瞬間があるようで、身内に関する言わなくても良いことをベラベラと喋ってしまって、酔いがさめてから後悔することは少なくない。先日も、実母に関するあんまりよろしくないエピソードを、妻の実家で喜々として語ってしまった。結局、私は祖父の酒飲みとしての気質を、受け継いでしまっていたのであった。