白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

SNSって大人が大人ぶる必要性が薄いからクラス会の感覚に立ち返っている感じがありません?

SNSにおいて、フォロワー数の少ない人が思いつきでつぶやいたような発言が拾い上げられて、それが「〇〇というようなことを言っている人がいるらしいのだが……」というように少しずつ当事者の手を離れ始め、いつしかフォロワー数の多い人たちによって続々と批判されるようになり、やがて「〇〇というようなことを言う人間は、××と考えているようなクソ野郎だ」などと当事者に対して勝手なイメージを付け加えて語る人たちまで現れ始める……というような事態を、たまに目にする。フォロワー数が多かろうと少なかろうと、発言者がその発言について責任を背負う必要性があることには違いない。そのため、発言内容に対して、多くの人たちから言及されてしまう状況が生じたときも、致し方の無いこととして受け止めざるを得ないだろう。ただ、たったひとつの発言から、発言者の人間性を勝手に決めつけて非難する行為に関しては、まったくの別問題である。同じ空間で生活している家族のことですら、その本質を正しく理解できているとは限らないのに、たったひとつの発言だけで人間性を見極められるわけがない。とても傲慢で乱暴な行為である。だが、こういう物言いをすると、元の発言に対して違和感を覚えていた人たちにはウケる。おそらくは、「まともな人間の発言ではないから」と理由を付けてもらえることで、それについて思考停止する権利を与えられるからだろう。世間が注目する大きな事件が取り上げられたときに、容疑者の同級生や周辺に住む人たちに取材して、その僅かな異常性を粒立てて取り上げることで「容疑者は異常だから犯行に及んだ」と大きく取り上げる週刊誌と同じ遣り口である。元の発言が、誹謗中傷の類い、社会倫理に反したものでもないかぎり、そういったものにいちいち反応する必要性はないのである。でも、何か物申したい。いっちょ噛みしたい。「自分はこう思ってますよ!」と自己表明したい。そんな感情を抑えきれなくなって、言わなくてもいいことまで言ってしまうのだろう。このようなブログを運営している身なので、気持ちは分かる。分かるのだが、そこから一歩引いた状態を保たないと、クラスメートにイキッている姿を見せつけているヤンキーみたいでみっともなくない?