白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

絶対に許さない話

Xでのつぶやきが拡散されると、知らない人から引用リポストが飛んでくることがある(“引用リポスト”がどういうものか分からない人は各自で調べてほしい。真面目に説明しようとすると大変にややこしいので)。私のつぶやきを受けて、感じたこと・考えたことについて持論が展開されていることが多い。私自身、感じたこと・考えたことについてつぶやいていることが多いので、「そういう考え方もあるのか」「それについては一度考えたんだよな」などのように参考にさせてもらっている。このような意見の照らし合わせはSNSの醍醐味といえるだろう。その一方で、私のつぶやきに対して、「こんな気持ちの悪いことをいうヤツがいる」という旨の言葉を添えて、引用リポストしてくるような人もいる。私が感じたこと・考えたことに対して拒否反応を示すと同時に、自らのフォロワーに対して「こいつは気持ち悪い」と私のアカウントを晒し上げる行為である。はっきり言って下劣である。私の考え方を否定したいのならば、「私はそうは思わない、何故なら……」というように自らの意見や主張を添えるべきだろう。そうすることによって、こちらも「そういう考え方もあるのか」などと、自分とは異なる意見に対して理解を深めることが出来るかもしれない。少なくとも、話の主体はつぶやきそのものであって、私に矛先が向けられることはない。しかし、つぶやきの内容に対して不快感を示すどころか、わざわざ引用リポストという形で「こんな不快なつぶやきをしている人間がいる」と自らのフォロワーに晒し上げる行為には、何の生産性もない。そこに生じるものがあるとするならば、「気持ち悪い」というバイアスをかけられた私と私のつぶやきに対する偏見の助長と、それによって起こり得るネット炎上という名の人権侵害運動である。無論、私のつぶやきが失言の類いである可能性も否定は出来ないが、勘違い・言い間違いの類いは誰にでも起こり得ることで、ひとつのつぶやきの内容だけで人間性まで判断されるべきではない。このような引用リポストを受け取るたびに、「この人は引用リポストのリスクについて、どれほど自覚的なのだろう?」と思いを馳せてしまう。きっと相手の気持ちなんて考えてもいないのだろう。自らの性格の悪さを棚に上げて、赤の他人を「気持ち悪い」の一言だけでお手軽に断罪することで満たされる正義感だか自己承認欲求だかの快感に飲み込まれているのだろう。知らんけど。知りたくもないけど。