白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

三十九歳の冬だから、冷たい眼でみないで。

先日、三十九回目の誕生日を迎えた。これからの一年は三十代最後の一年間になるわけだが、これといった感情が沸き上がることはない。十九歳から二十歳になるまでの一年間、二十九歳から三十歳になるまでの一年間は、まだ少し心のざわめきがあったように記憶している。思うに、二十歳という年齢、三十歳という年齢に含まれる社会的な意味合いについて、重めに考え込んでしまっていたのだろう。その年齢を実際に踏み越えたところで、別に何も変わらないというのに。「年齢はただの数字に過ぎない」とはよく言ったものである。ただ、この感慨の無さは、年齢に比例して重ねてきた知識や経験が希薄であるからこそ、起きている事態なのかもしれない。蓄積の果てに迎える「ただの数字」と、何も考えずに生きてきた果てに迎える「ただの数字」では、まったく意味が異なる。自分は果たしてどちらなのだろう。認めたくはないが、後者のような気がしてならない。

どうして後者のような気がしているのかというと、この一年ばかり、賞レースの感想文をまったく書いていないためだ。賞レースそのものはチェックしている。少なくとも『R-1グランプリ』『THE SECOND ~漫才トーナメント~』『キングオブコント』『THE W』『M-1グランプリ』はリアルタイムで視聴したし、SNSで感想のようなものをつぶやいてもいた。だが、まとまった感想文については、『R-1グランプリ』を除くとまったく書いていない。理由は漠然と認識している。感想文を書くという行為は、ネタを鑑賞した自分の中に生じている感情を言語化することで、大衆に向けて自分自身の思想をさらけ出す行為といえる。それを無意識のうちに恐れているのである。もっとも、これまではそれでも感想文を書くことが出来ていた。では、どうして今まで出来ていたことが、ここにきて出来なくなってしまったのか。これは多分に、自らの意見と反する主張に対しては攻撃的な姿勢を見せても構わないとする、昨今のインターネットの傾向によるところが大きい。

今から二年ほど前に、ブログが炎上したことがあった。個人的に好きだった芸人からSNS上でブロックされたことについて悲観的な感情をむき出しにした記事を書いたところ、それが何故だか炎上したのである。「何故だか」と表現したのには理由がある。当時、このブログはアクセス数が100人から200人の間を行ったり来たりする程度の規模で運営していたので、仮に記事の悪質性が見受けられたとしても、SNSでも取り分け親しい人から苦言が飛んでくる程度だろうと勘ぐっていたためである。もっとも、記事の内容にしても、個人的な感情をただただ爆発させているだけのもので、まったくの赤の他人からどうのこうの言われるようなものではなかったのだが……それが炎上したのである。

当時、当然のことながら「炎上」というものの存在は知っていたし、どういった類のものなのかも理解していたつもりだったのだが、いざ当事者になってみると、これほど精神的に凹まされるものなのかと驚いた。炎上に加担している人たちの言葉に、とにかく躊躇がないのである。通常、他人に意見するときには、こちらのイメージや相手の心情を考慮した上で、当たり障りのないように言語化して意思を伝えるものなのに、彼らにはそれがないのである。自分が通る道の上の障害物になっている段ボール箱を蹴飛ばすかのように、さらりと剥き出しの敵意をぶつけてくる。彼らの多くは、私の主張そのものだけではなく、その主張の奥にある人間性を否定する。「こんな主張をするようなヤツは、どうせ〇〇だろう」とばかりに、多勢に無勢の立場を利用した安全圏から妄想じみた憶測で私の性格を決めつける。これを不特定多数の人間にやられる辛さは、実際に炎上を経験したことのある人間でなければ理解できないだろう。

なにより恐ろしかったのは、それらの悪態を投げつけてくる人間が、これまで私の活動とまるで関わりのない人たちばかりだったことである。まったくの赤の他人のことを、ここまで真っ直ぐに否定できる人たちの存在を可視化させてしまうこと、それこそが炎上の真の恐ろしさなのである。結果、私は人間不信に陥ってしまい、しばらくの間は感想文を書こうとするたびに当時の記憶が呼び起こされるようになってしまった。「自分はこう思ったが、違う意見を持つ人たちに絡まれて、炎上してしまうかもしれない……」と思うようになってしまったのだ。分かりやすい心の傷である。

(心の声:ていうか、炎上に加担する人たちって、なんで記事のコメント欄に書き込まずにブックマークで自分の言いたいことだけ表明していくんだろうな。記事のコメント欄に書いてくれれば、こちらから対応だの反論だの出来るのに、ずっとブックマークにばっかり書き込んでくるから、リアクションできなかったんだよな。結局、疑問は呈するけど、書き手とコミュニケーションを取ることは出来ない、無責任なケツまくり野郎ばっかりだったってことなんだろう。くっだらねえなあ!)

とはいえ、ブログに感想文を書くことで、今の自分が存在していることは紛れもない事実なので、三十代最後の一年ぐらいは、他人の目を気にせずに気合を入れて感想文を書いていければいいなと思う。とりあえず去年の賞レースの感想を……。