ゼロ年代を代表するネタ番組のひとつ『笑いの金メダル』を見ていたときの話。当時の番組のメイン企画は、若手芸人同士によるネタバトル。AブロックとBブロックに三組ずつ分けられた全六組の芸人たちがネタで競い合い、観客の審査によって決められた各ブロックの勝者が再びネタを披露、改めて観客の審査が行われ、その日の優勝者を決めるというシステムだった。
その日、まだ世に名前の知られていない若手芸人たちに混ざって、このネタバトルにつぶやきシローが参戦していた。その頃のつぶやきシローの一般的なイメージは、いわゆるところの“一発屋”。『ボキャブラ天国』への出演をきっかけにキャラクターの人気に火がついていた頃が全盛期で、今は雑に扱っても構わない過去の人……というような扱いを受けていた。ある年の『爆笑ヒットパレード』において、ロケ先の人気のない神社でつぶやきシローがネタを披露させられるも、つまらないものとして女子アナにサクッと処理されていた光景は今でもはっきりと覚えている。その後、有吉弘行の大復活やゼロ年代のお笑いブームを支えた一言ネタ芸人たちの再ブレイクの影響か、一発屋芸人と呼ばれそうな人たちがそういう扱いを受けているところを見る機会は随分と減ったように思う。良いことである。
話を戻す。当時の私も、つぶやきの名前は知っていたが、その芸についてはあまり認知していなかったので(「あるあるネタ」を得意としていることぐらいしか知らなかった)、さほど氏のネタには期待をしていなかったように記憶している。ところが、いざネタが始まってみると、これがもうバツグンに面白かった。
つぶやきシローのネタは漫談である。
「かち~んとくるときってあるよね」「ムカつくときってあるよね」「勝った!ってときってあるよね」などのように、特定の感情が浮き上がるようなシチュエーションについて、ぼそぼそと喋り始める。そのシチュエーションの数々が、つまりは「あるあるネタ」になっているわけだ……が、その内容はなかなかに繊細で面倒臭い。例えば、『「かち~ん」とくるとき』として、「彼女がピクニックで握ってきたおにぎりの中身が山菜」だとか、「友達にコンセントを抜くように言ったらコードごと引っ張られたとき」だとか、分からなくもないものの「かち~ん」とくるほどでもない塩梅の話が延々と繰り広げられる。ただ、それをつぶやきが栃木訛りのイントネーションで感情たっぷりに表現することで、すんなりと受け入れさせられてしまう。方言がもたらす田舎臭さが、神経質な視点のトゲトゲしさを適度に中和しているのかもしれない。
これに加えて、つぶやきは漫談という手法を採用しているからこそ、「あるあるネタ」を更に展開させて笑いを増幅させられる強みがあった。先の例でいえば、おにぎりには第二・第三のおにぎりが存在するし、引っ張られたコードは指示したものとは違う家電のコードだったりする。一言では終わらない。終わらせない。ここに、つぶやきがいわゆる一言ネタの芸人たちとは、また一線を画した存在であったことが表れている。
そういった「あるあるネタ」の羅列と増幅によって、どんどん加速し始めるつぶやきの漫談は、やがて奇妙な物語を紡ぎ始める。例えば、『ムカつくとき』の話から肩を壊した野球部の元エースと今も野球部のクラスメートとの友情物語が、『勝った!ってとき』の話から眠るときに数えられる羊たちの舞台裏が、突如として「あるあるネタ」から脱却して繰り広げられる。この時、断片的なシチュエーションが積み重ねられてきたつぶやき漫談の世界が、急速に広がっていく。この爽快感。しかし、この「あるあるネタ」とはまったく無関係に思えた物語が、また最終的に「あるあるネタ」へと帰結するのだから、またたまらない。その技量・構成力には、つぶやきシローという芸人の確かな実力が表れていた。
当時のお笑いブームの文脈とは明らかに違うところに存在していたつぶやきは、その圧倒的な技量と存在感でもって他を圧倒、見事にその週の優勝者に選ばれていた。以後、つぶやきが一発屋芸人として乱暴な扱いを受けているところを見ることはなくなった……と、思うのだが、実際にどうだったかは覚えていない。ともあれ、この日この時から、私のつぶやきシローを見る目がはっきりと変わったことだけは、確かである。