白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

「男性ブランコ×サンシャイン水族館「トワイライト水族館」」(2022年12月9日)

進化の過程において、今現在は地上で生きることを選択している私たちにとって、海は畏敬の存在である。地上の者にとって、表面的にしか捉えることの出来ない海は、まったくもって得体が知れない。一見すると、穏やかで何も起きていなさそうな海の中には、奇妙奇天烈なデザインの深海生物だの、地上の常識を遥かに凌駕する巨大な生命体だのが、縦横無尽に泳ぎ回っているのである。もっとも、昨今は科学の進歩によって、海中の事情も多分に知れるようになったようだが、それでも一般市民にとって、深層心理の奥底で、海はまだまだ底知れない場所として刻み込まれている。そんな海の生命体を気軽に鑑賞できる水族館もまた、なにやら不可思議な空気に包み込まれている。そして確かに、それぞれの水槽の中では、確かにひとつひとつの海が広がっている。ただ日頃は、家族連れやカップルの雑踏によって、それらがかき消されているに過ぎない。そこには海が、幻想が広がっている。

男性ブランコサンシャイン水族館を舞台に敢行したオンラインコントライブ「トワイライト水族館」は、そんな水族館の幻想を多分に引き出した映像作品である。人気のない水族館へとやってきた男(浦井)が、受付の男(平井)に案内されるがまま館内を歩き回る様子を描いた本作は、どこか現実味のない雰囲気に包み込まれている。男はどうして水族館へとやってきたのか。受付の男は何者なのか。どうして他に客は一人もいないのか。すべてが曖昧なまま、二人は様々な水槽を眺めて回る。それはまるで、見知らぬ国へとやってきて、知らない街を巡り歩く、未知なる旅のように移り変わっていく。さながら、浦井は旅人で、平井は奇妙な案内人だ。そこで繰り広げられる、ちょっとヘンテコな会話の数々。ゆるやかに生じる笑いの波動は、それもまた幻想の中へと消えていく。……本作のタイトルに使われている「トワイライト」とは「夕暮れ」を意味する言葉である。古来より、「夕暮れ」は「逢う魔が時」と呼ばれ、「怪しいものに出会いそうな時間」とされていた。そのことを考慮すると、この非現実的な空気感にも、まったく合点がいくというものである。

これらメインのストーリーに加えて、本編ではまったく別の方を向いている映像コントも多く演じられている。水族館内のニュースをキャスターとプロの魚師が報じる『おさかなNEWS』、カクレクマノミの帽子をかぶった二人が舞台裏でかくれんぼに繰り出す『カクレんぼ』、二人があんまり動かない三体のウツボにアテレコする『ウツボ三兄弟』などなど……その中でも、平井が作詞を担当し、トニーフランクが歌唱する『ペンギンのうた』は秀逸。YouTubeでも配信されているので、是非ともご覧いただきたい。あまりにも愛おしく、それでいて心強い。佐藤雅彦風味。

冒頭で「海は畏敬の存在である」と書いた。海は甚大な災害を招く畏れの存在である。ただ、同時に、海は何にも代えられない敬いの存在でもある。進化の過程において、地上で生きることを選択している私たちも、かつては海に抱かれていた。だからなのかは分からないが、広大な海を眺めていると、心が癒されるような感覚を覚えることがある。この感覚に似たものを、男性ブランコのコントにも感じることがある。例えば、本編において、浦井演じる男の心の中にあったしこりのようなものが、ゆっくりとほどけてなくなっていき、ラストシーンを迎える展開に、そういうものを感じる。ありきたりな表現になるが、その正体はきっと「優しさ」なのだろう。ありきたりではあるが、だからこそ、おざなりにしてはいけないものである。

最後に余談だが、本作を鑑賞して最も驚かされたのは、実はトニーフランクの歌唱だった。正統派のようでいて、さりげに複雑なラインのメロディを歌い上げている。エンディングテーマの後半の崩しかたなど、聴いていて戦慄が走るような衝撃を覚えた。転調なのか、下手なのか、とにもかくにも覚束ないのに、不思議と洗練されている。なんだこれは!

1月9日まで見逃し配信有り。