令和時代のお笑い公論

笑いの粗熱が冷めるまで

思春期の爆発は「ワンマンショウ」を開幕せざるを得ないのだ

恥ずかしながら、と申し上げるほど恥ずかしさを覚えてはいないのだが、今や自分の伸びしろの広さもなんとなく分かってしまっているアラサーでありながらも、文章を書く仕事をちまちまとやらせていただいているような私にも、小説家を志していた時代があった。そのために何をやったか、と、ここで敢えて書けるようなことは何もしていない。テキストサイトで自己満足を具現化しただけのような駄文を書き殴っては、それを発表している自分に泥酔していただけである。夢と呼ぶにはあまりにも烏滸がましい態度だった。仕方がない。十代の頃の話である。それでも、そこで文章を書く快感を覚えたのか、未だに文章を書き続けている。当時と変わらず、自己満足のような駄文である。それでもたまに第三者から反応を頂けるので、幾らかはマシになっているのかもしれない。

その頃の自分と今の自分は間違いなく直結している。だから否定するつもりはない。自分の振り返りたくない恥じた歴史のことを「黒歴史」と自虐的に語る風潮があるが、その当時の自分も今の自分も同じ自分だろうに、何を達観したかのような顔で語っているのか。無論、今よりもずっと稚拙でみっともない文章を書いていたのは確かで、それを赤の他人に掘り返されて、今の自分のことしか知らないような方々に広められるのは大変に恥ずかしいことである。だが、その時代の自分がなければ、どう考えても今の自分は存在しなかった。変わったところはあるだろうが、完全に消えることなど有り得ない。あれはあれで良かったと、自分だけは認めなくてはならないのだ。

LITTLEの「ワンマンショウ」を聴くたびに、当時の自分を思い出す。

平凡な日常生活を歩んでいる人が、心の中で抱いている晴れ舞台への渇望と苦悶を語り上げている『ワンマンショウ』は、その頃の私を見事に表している。平凡な日々、変化のない日常、それでも確実に過ぎていく時間。世に出ていく人たちの輝かしいエピソードに憧れと苛立ちを覚え、そこに辿り着けない自分自身にも腹が立ち、色んなことにウンザリしていたあの頃。この頃の感情は今ではすっかり鳴りを潜めている。だが、いなくなったわけではないだろう。先述の通り、当時の私と今の私は直結している。まだまだ、まだまだだ。