令和時代のお笑い公論

笑いの粗熱が冷めるまで

ダウ90000第2回本公演「旅館じゃないんだからさ」

質問箱でオススメされた、ダウ90000の舞台を配信アーカイブで観たよ。いやー、何処の誰だか知らないけれど、教えてくれてありがとうって感じだな。メチャメチャ面白かったよ。メチャメチャ面白かったし、なんか分かるなーって気持ちになったわ。そういう気持ちになったから、今まさに文章を打ち込んでるんだけどさ。

何が分かるかって、あの映画鑑賞という体験を大事にしている感じね。そうなんだよ、映画を観るっていうことは、ただ作品を鑑賞するだけじゃなくて、それを観た瞬間の自分、或いは、その周りの色んなことが記憶の中に刻み込まれていて、それを観るたびにブワーッてフラッシュバックする感じなんだよな。例えば、親に連れて行ってもらった映画館とか、逆に一人で行った映画館とか、何もない日にたまたま観てなかった映画のDVDを家で観たときに窓から挿し込んだ夕陽とか、ちょっと気になるあの子と車で出かけた先で観た映画の後に食べた中華料理とか、そういうのが全部、映画の記憶として刻み込まれてるんだよな。その思い出の愛おしさっていうかさ、儚さっていうかさ、そういうのがグッて凝縮してた感じだ。

物語自体は、いわゆるレンタルビデオで働いている三人の男女と、三人となんらかの関わりを持つ人々が、店内であーだこーだと繰り広げる恋愛模様って感じなんだけれど、なんかこう、一貫して「映画に刻み込まれた記憶」みたいなのがテーマに組み込まれてるのよね。観たはずなのに忘れちゃった映画とか、長期間延滞しちゃったビデオとか、更新されていない会員カードのデータとか、そういうのが物語の重要な鍵になってて、それは登場人物たちの過去の記憶と直結しちゃってるのよね。

ほら、ちょっと前にさ、『かまいたちの知らんけど』の特別編でさ、濱家の思い出が詰まったスーパーマーケットが閉店するっていって、番組でロケに行った回があったじゃない。そういうことなんだよ。そこには思い出が刻み込まれていて、触れた途端に記憶が蘇ってくるんだよ。でも、それはあくまでも記憶の中だけで、過ぎ去った時間はいつまでも残ってはくれないのよねえ。スーパーは閉店しちゃうし、カードは更新しないといけない。それは凄く切ないことだけれど、でも、同時にこれから先の未来に向かうために乗り越えなきゃならないことなんだよな。だからこそ、あのラストカットなんだよ。あのラストはだからこそ特別で、彼女にとって、あの映画体験は特別なものになったんだよ。いやーっ、いい舞台だったな。

なんかコレ書いてたら、吉田拓郎の『流星』を思い出しちゃったよ。

流れる星は今がきれいで ただそれだけに悲しくて

流れる星はかすかに消える 思い出なんか残さないで

こういうことを繰り返しながら生きていくんだろうなあ。

この内容でソフト化されなかったら嘘だと思うので、気になる人はいずれ出るだろうDVDを見てね。そして、この公演もまた、あなたにとっての特別な体験になることを祈ってるぞ!