令和時代のお笑い公論

心が腐る、その前に。

『俺たちはどう生きるか』(大竹まこと)

俺たちはどう生きるか (集英社新書)

俺たちはどう生きるか (集英社新書)

 

ここ数週間、本を読む時間を設けている。読もうと決意したわけではない。本を読むことが出来る時間が偶発的に発生したのである。というわけで、読まずに放置していた本を読みまくっている。先日は大竹まことの本を読んだ。タイトルは『俺たちはどう生きるか』。どこかで聞いたようなタイトルだが、内容は至ってシンプルなエッセイである。大竹が思ったこと、感じたこと、経験したことを、その声で実際に語っているかのような文体で綴られている。正直、文章としては、決して上手いとはいえない。だが、その文章からは、大竹まことという一人の人間の生き様が滲み出ている。

内容に関しては、まったく一貫性がない。ただ、全体を通して、とてつもなく感じさせられるものがある。それは「心配」だ。七十歳で古希を迎えた大竹が、その人生において感じたことや専門家の言葉から学んだことなどを、若い人たちに向けて発している。その言葉には、若者たちを心配する気持ちで溢れている。ただ、自らの老いを弁えているからこそ、強い言葉を押しつけようとはしない。自分の気持ちを淡々と述べるだけである。だが、そのスタンスがまた、大竹の確かな老いを表しているようで、シティボーイズのコントを楽しんでいた身としては、些か複雑な気持ちにもさせられる。なんだか明日にも死んでしまいそうで、大変にこわいのだ。

自身の思い出を綴っている文も多い。シティボーイズが如何にして結成されたのかは漠然と認識していたが、それまで大竹が何をどのようにして生きてきたのかをまるで知らなかったので、これは興味深く読んだ。なんでも、劇団の養成所に入る前には、ドサ回りのコメディアンとして全国のキャバレーを回っていたそうだ。この他にも、風間杜夫のこと、高校の同級生たちのこと、十七歳で亡くなった友人のこと……それらの話が走馬灯のように語られている。これが最後にするつもりなのか。それともまた老人として語る日が来るのだろうか。

 すまん。若者よ。君たちに伝える言葉をこの年よりは持っていなかった。
 ぐだぐだと回り道を、それも迷いながら生きてきた男の駄文である。
 こんなものは読まずに、女性(男性)でも口説いていたほうがよかろう。
 諸君、さらばじゃ。ありがとう。