白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

無題

ハイツ友の会、解散。

才能があり、華があり、将来を有望視されていたコンビの解散は、多くのお笑いファンに衝撃を与えた。もっとも予兆はあった。四月以降の事務所ライブにおいて、ハイツ友の会の名前が微塵も見受けられなかったのである。二人の主戦場が関西圏であったことから、上京するのではないか?という希望的観測を抱いている人間も少なくなかったが、このようなことになってしまった。

事務所からの発表によると、清水は芸人を引退し、西野はピン芸人として活動する予定だという。そこで注目されたのは、二人のコメントである。清水は「嬉しいこともそうでないことも少しずつ積み重なった結果、芸歴5年目をやりきって芸人をやめるという判断に至りました」と何かしらかの不満を匂わせる程度に留めているが、西野は「昨年の春頃に芸人を辞めたい気持ちが闘値を超えました」「辞めたい理由はたくさんあります。本当にたくさんあります。でも続けたい理由が一つもありません」とかなり実直な言葉を連ねている。

その中でも、物議を醸しているのが、自身の芸を支持してくれる人には女性が多いという話から、不特定多数の彼女たちに対する感謝の気持ちを述べた後に綴られている、「本当に“お笑い”が好きな男性もありがとうございました」という一文である。一見すると、これは二人のお笑い以外の側面を支持している人たちのことを、感謝の対象から除外した表現のように見える。だが、その前のくだりにある、「様々な言葉をかけていただきますが……」からの一文を思うと、敢えて「本当に“お笑い”が好きな男性」と粒立てた表現をすることで、二人の芸に対して意見するような人間の存在を示唆しているようにも読み取れる。幸か不幸か、私は地方在住のために若手芸人のライブイベントの実情を知ることはないが、プロの芸人に向かって偉そうにアドバイスするアマチュアが存在するという話は聞いたことがある。二人はそういった人たちに少しずつ削られていってしまったのだろうか。否、そもそも、この文章ではそういった人たちのことを、“アマチュア”だとは明言していない。その繊細な表現が含んでいる意味とは……などと、あれやこれやと考えてみたところで、本当の意図は当人にしか分からないことである。

とはいえ、二人の行く道を阻害した存在が、どうやら男性であることには違いないらしいので、同じく男性である私としては、そういった人たちの存在を他山の石として今後のお笑いウキウキウォッチング人生を歩ませていただきたいと思う。……もとい、ここ数年は一応、それを自覚した上で歩ませていただいているつもりなのだが、それでも無自覚のうちに、何処かで誰かにやらかしてしまっている可能性もあるから、厄介なのだ。自分には性欲があり、それに由来する男性としての社会性があり、同性相手ならば決してやらないだろう言動かどうかをしっかりと飲み込みながら、異性と向き合っていきたいものである。そう、改めて考えさせてくれる、痛烈な文章だった。このような表現は適切ではないのかもしれないが、お見事としか言いようがない。

……話が大幅に変わってしまったので、本題に戻す。

私がハイツ友の会のネタを見た回数はごく僅かでしたが、それでも絶対に売れるコンビだと確信を抱いていました。こんなもんじゃないです。もっと、もーっと売れるべきコンビだと思っていました。賞レースなんて杓子定規では計れないところに行けるとすら思っていました。なので、率直に言って残念です。でも、そんなことは無責任な第三者の戯言ですので、気になさらないでください。清水さんの今後の人生が実りあるものになることを、西野さんが自らのやりたいことを伸び伸びとやれる芸人活動を始められることを、心よりお祈り申し上げます。本当に。本当に。

賞レースの「ヤラセ」の声について思うこと。

M-1グランプリ』や『キングオブコント』のように大規模な賞レースの結果を受けて、「ヤラセだ!」と声高に叫ぶ人たちがいる。正直なところ、内部の人間でもない限り、賞レースの結果が「ヤラセか」「ヤラセじゃないか」を知ることは出来ないので、その正否について一般人が断言できるものではない。だからこそ、そういった声が鳴り止むことはないのだろう。しかし、それにしても、彼らがいうところの「ヤラセ」とは、果たして誰にとっての「ヤラセ」なのか、私にはよく分からない。大手事務所が売り出したい芸人に箔をつけるために優勝させているのだ、という理屈を目にしたことはある。だが、賞レースで優勝した芸人が必ずしもメディアやライブ界隈で活躍しているとは限らない実情を考えると、あまり説得力がない。売れっ子のバーターとしてテレビバラエティ番組に出演させたり、ネタ番組に積極的に起用してもらったりした方が、効果的でコスパも良いだろう。思うに、優勝した芸人のネタを笑うことが出来なかった自分自身を認めたくないがために、優勝そのものを「ヤラセ」として拒否したい気持ちが湧き立つのではないだろうか。そして、それはつまり、賞レースの結果を非常に重大なものとして受け止めてしまっていることの裏返しともいえる。無論、そんなことはない。プロの芸人であろうと、ズブの素人であろうと、審査員が人間である以上は、どうしても個人の好みが審査に反映されてしまうものである。その個人の感覚の差異を埋めるために、複数人による審査が行われているのだが、それでも決して完璧とはいえない。だから、優勝した芸人のネタを「そんなに面白くない」と感じてしまうのも、致し方の無いことなのである。……と、そんな風に自分が考えられるようになったのは、きっと『爆笑オンエアバトル』の観客審査に一喜一憂する時代を経験したおかげだろう。あの番組、観客による投票審査というシステム上、少なくともヤラセは絶対に起こらないからなあ……。ちなみに、今年の『R-1グランプリ』で優勝した街裏ぴんくに対しても、「ヤラセだ!」という声があがったらしいのだが、トゥインクル・コーポレーションにそんな力なんてないよ!

コント人間二十年

東京03が結成二十周年を記念したBlu-rayボックスをリリースするという。

ディスクは全22枚組で、過去の単独ライブの映像をまとめたものになっているそうだ。それらの中には、単体ではソフト化されていない第二回単独ライブ『trio de sunshine』、現在は入手困難な状態にある第四回単独ライブ『夏下手男』も含まれるらしい。また、第5回単独ライブ『傘買って雨上がる』から第18回単独公演『明日の風に吹かれないで』に関しては、今回が初のBlu-ray化。DVDでリリースされた当時よりも、彼らのライブをより高画質・高音質の映像で体感することが出来ることになるだろう。東京03が結成十周年を迎えた2013年にリリースされたDVD-BOXの購入を見送った身としては(彼らの単独ライブを収録したDVDはすべて購入済だったからだ)、非常に有難いニュースである。税抜55,000円でディスク一枚あたり2,500円とリーズナブルな価格設定も嬉しい。ファンは頑張って貯金しよう。数量限定らしいので予約を忘れずに。

ちなみに、過去にリリースされたソフトが、改めてボックスなどの形態で再発売されることは、かなり珍しい。先述した東京03結成十周年記念DVD-BOXを除くと、2010年にリリースされたバナナマンの傑作選ライブのDVDをまとめたボックス以来の事例になるのではないだろうか(『バナナマン傑作選ライブ DVD-BOX Punch Kick Chop』)。芸人の間で単独ライブのBlu-ray化が広がっていない昨今、コントだけにとどまらず映像ソフトの面においても東京03はトップランカーといえるだろう(そしてラーメンズの不在を再認識してしまって、なにやらしんみりしてしまう私であった)。

DVDの特典映像なんて、こんなんなんぼあってもいいですからね!

先日、リリースされたばかりのウエストランドの新作が、ちょっとだけ注目を集めている。M-1優勝後に開催された単独ライブの模様を収めている本編が75分であるのに対し、特典映像が162分(2時間42分)という、とんでもないボリュームになっているためである。この特典映像には、単独ライブでの反省会と称した、トークライブの模様が収められているらしい。本編に収録されているライブの反省会トークライブを特典映像として収録していること自体には前例はあるものの、これほどの長時間に及んでいるものは前代未聞である。トークライブ当日、よほど井口のしゃべりが盛り上がったのだろう。

本編よりも特典映像の方が長い作品といえば、最初に思い出されるのは、2007年にリリースされたとろサーモンの『ご指名・ご購入ありがとうございま~す! ~感謝してます編~』である。

この作品、単独ライブの映像を収録した本編が72分であるのに対し、ネタやロケの模様を収めた特典映像が79分と僅かに長い。正直、先のウエストランドに比べて、その違いは微々たるものであるように感じざるを得ないが、本作は「本編よりも特典映像の方が長い」ことをセールスポイントとしてアピールしていたため、非常に印象に残っている。逆にいえば、当時は特典映像に着目した作品がさほど多くはなかったことを証明している、といえるのかもしれない。

ちなみに、ここ最近のリリースの中で、最も収録時間が長い作品を世に送り出しているのはハリウッドザコシショウである。きちんと比較していないので確実ではないが、おそらくはそうだろう。なにせ2023年にリリースされた最新作が、リリース用に行われたライブの模様を収めた本編152分、自身が開催する賞レース“喚き-1GP”などの企画を収録した特典映像201分、合計353分(ほぼ7時間)という他の追随を許さないボリュームなのだ。ディスク一枚にこれだけの時間を詰め込んでいるのだから、どうかしているとしかいいようがない。

なお、過去のラインナップを確認すると、2016年にリリースされた『ハリウッドザコシショウのものまね100連発ライブ!』は本編98分+特典映像130分、2018年にリリースされた『ハリウッドザコシショウのものまね100連発ライブ!SEASON2』は本編116分+特典映像111分、2020年にリリースされた『ハリウッドザコシショウのものまね100連発ライブ!SEASON3』は本編139分+特典映像187分となっている。……こうして見ると、年を重ねるごとに増えていることがよく分かる。こうなってくると、次回作あたりは更なるボリュームを目指して、そろそろBlu-ray化されるのではないか。高画質で見るザコシはとんでもない迫力になりそうだ。

もっとも、これは本当に記憶だけで書いていることなので、他にもっとボリュームのある作品が存在しているのかもしれない。ご存じの方はコメント欄で教えてほしい……って、なんだかYouTuberみたいな文章の締め方になっちゃったな。

2024年4月のリリース予定

いつもお世話になっております。すが家しのぶです。3月末ということで、通常であれば来月である4月の気になるリリース情報を公開するところなのですが、今の時点で気になる作品を見つけられていません。ザ・ニュースペーパーの新作や、六代目三遊亭円楽師匠のDVDが出るようなのですが、私の食指があんまり動いていないので、こちらはスルーさせていただきます。そもそも4月にリリースされるDVDが少ないようですね。ライブ配信全盛の時代において、DVDの需要の低下をしみじみと感じさせられます。……もっとも、年度初めだからっていうだけのような気もしていますけど。3月はそこそこ出てましたしね。速攻で前言撤回です。どうでもいいですけど、前言撤回って“ぜんごんてっかい”って読みそうになるのは、私だけでしょうか。正しくは“ぜんげんてっかい”なんですよね。同じ母音の漢字が続くことに、無意識のうちに違和感を覚えているのでしょうか。本当にどうでもいいですけど。では、また来月。

「おもんない」ってハッシュタグこそ「おもんない」と思ったときの話。

今から三年ほど前に、とある芸人によるテレビ番組内での発言が批判を集めて、SNSで「〇〇おもんない」というハッシュタグがトレンド入りしたことがあった。これについて、当時の私は「番組内での発言に問題があったことと、〇〇が芸人として「おもんない」ことは、切り分けて考えるべきである」と考えたため、それらの事象に対して批判的なコメントをツイートしたところ、それを見た人たちから「〇〇を擁護している!」という反応を頂戴した。この反応の意味が、私には未だによく分からない。番組内での発言に誤りがあったのであれば、その発言が誤りであるとする理由を説明すればいいだけの話である。それを「おもんない」などと、発言者の仕事を否定するようなハッシュタグを作り出して、拡散する必要性はない。これまでの〇〇の仕事に対して不満を覚えていた人たちを、発言に対する批判の流れへと巻き込もうというさもしい意図しか感じられない。もしも、これが他の一般的な職種に就いている人に向けられた、その人の仕事を否定するような内容のものであったならば、もっとハッシュタグに対する批判の声が寄せられていたことだろう。思うに、このハッシュタグの根本にあるのは、「芸人だから、こんな風にイジッてもいいだろう」という、芸人という職業に対する侮蔑的な姿勢である。だが、その芸人に対する侮蔑的な姿勢こそ、芸人が社会的地位の低い存在として自由奔放に発言できる根拠に繋がっている。要するに、「〇〇おもんない」というハッシュタグが何の疑問も抱かれることなく拡散されている現実こそ、〇〇が芸人として無責任な発言をしても構わないとされても致し方のない地盤の存在を証明しているのである。しっかりと発言そのものについて批判するのであれば、このような「おもんない」ハッシュタグなど作らずに、真正面から物申すべきだろう。ちなみに、私自身は、〇〇のことを面白いと思ったことは、一度もない。興味もない。そもそも氏が全盛の世代じゃない。だから、じゃあ、なんでこの件に口を挟むのかというと、私が無責任な立ち位置にいるからである。この件に関しては、私こそが最も「おもんない」のだ。ははは。

地方民が感じた『オンバト』の功績の話

かつて“最もシビアなお笑い番組”というキャッチコピーで知られていたネタ番組爆笑オンエアバトル』の後継番組『オンバト+』の終了から、今年で十年になるらしい。十年の歳月は伊達じゃない。十年も経ってしまえば、ピッカピカの小学一年生はテッカテカの高校一年生になっているし、フレッシュな社会人一年生は三十歳を超えて体力の下り坂に足を踏み入れている。それだけの年月が経過すると、番組の功績についても忘れられてしまっているような気がするので、今回はその偉大な存在について改めて書き留めておきたい(以下、ややこしいので、表記を『オンバト』にまとめる)。

オンバト』が偉大であると断言する理由の一つとして、全国放送であったことが挙げられる。『ENGEIグランドスラム』や『ザ・ベストワン』のような大型のネタ特番が頻繁に放送されている今の時代からは考えられないかもしれないが、ゼロ年代初頭のテレビバラエティにおいて、芸人のネタが放送される機会は非常に少なかった。そもそも若手芸人の存在そのものが認知されていなかったようにすら思う。そんな時代において、『オンバト』は不特定多数の無名の若手芸人のネタを全国に向けて放送していた。この「全国に向けて」という点が重要だ。放送局が天下のNHKだったことで、放送時間帯が深夜であったにもかかわらず、地方ローカル番組や番組の再放送に枠を奪われなかったのである。これにより、若手芸人の存在が地方に住んでいる人たちにも知れ渡るようになり、後の津々浦々にまで広がっていくお笑いブームへの流れを作っていったのである。

地方……といえば、『オンバト』が複数回にわたって地方収録を行っていたことも、ひとつの功績といえるだろう。地方在住のお笑いファンを生み出すことに成功した『オンバト』は、放送回数を重ねるごとに各地方での収録を開催するようになる。この地方収録には、たびたび地元で活動している無名の若手芸人が参加していた。その多くは、常連と呼ばれている芸人たちの前に敗れ去った……のだが、中には、地の利を生かした戦い方で高い評価を獲得することに成功した芸人も存在した。更に、その中には、この地方収録での評価をきっかけに、番組へと頻繁に出場するようになる者たちもいた。要するに、『オンバト』は地方芸人の発掘にも貢献していたのである。ちなみに、そうやって地方から発掘されて、全国のお笑いファンに知られるようになっていった芸人の代表格として、タカアンドトシ(札幌収録)とパンクブーブー(長崎収録)がいる。どちらも後にM-1の決勝戦に進出しているが、もしも『オンバト』への出場をきっかけにフックアップされていなかったら、またちょっと未来は違っていたかもしれない。

ただ、『オンバト』の最大の功績は、オンエアされなかった芸人たちの負け姿を放送したことにあるのではないか、と私は思っている。10組の芸人がネタを披露し、観客投票によって選出された上位五組のネタだけがオンエアされる『オンバト』のルールにおいて、下位五組になってしまった敗退者には何も得られるものがない……と、思われがちだが、そんなことはない。全国のお笑いマニアたちに、「こういう名前の芸人が存在する」と認知されるだけでも財産となり得るからだ。例えば、地方で芸人たちによる営業ライブが開催されることになったときに、出演者がまったく名前を知らない芸人だった場合と、『オンバト』で名前とビジュアルだけでも確認できている芸人だった場合とでは、まったく関心の度合いが変わってくる。「オンエアされなければ“つまらない芸人”という烙印を押されてしまう」と否定的に捉える芸人もいたようだが、必ずしもそればかりではないということは伝えておきたい。

他にも功績があったような気がするし、一方で罪の部分も少なからずあったような気もする(偏ったお笑いマニアを生み出したとか、芸人のネタを数値で考える傾向を作ってしまったとか、大衆ウケはしないが才能のある芸人のネタが評価されにくかったとか)けれど、今回はこの辺りで。

リアルタイムで放送中のテレビドラマを批評することについての自問自答

リアルタイムで放送されているドラマの内容について批判的なコメントを寄せている人をSNSでたまに見かけるのだけれど、まだ物語が終了していない段階で批判するのって、なんかちょっとリスクが高い行為なんじゃないかって気がしているのだけれど、どうなんだろうか。だって、これから放送される予定のエピソードで、批判していた要素が実は伏線として仕掛けられていたものだった……って可能性もあるじゃない。もしも自分が同じ立場だったら、そうなってしまったときに「あちゃーっ!アレって伏線だったのかーっ!読み間違えたーっ!」って恥ずかしい気持ちで胸がいっぱいになってしまう。でも、そういうことをいうと、なんか面倒臭い人たちから絡まれそうだから、「いえ?僕は何も言ってませんけど?」というような表情で乗り切るしかない。あるいは「いや、確かに言いましたけど、あのエピソードを見た限りでは、そういう風に誤解されてしまう可能性は否定できませんよね?」とかなんとか言って、煙に巻くしかない。で、実際問題として、それもまた確かに批評としては間違っていなかったりする。テレビドラマって、第一話から最終話までがひとつのパッケージではあるけれど、第一話から最終話までの期間がそこそこ長いから、最終話での伏線回収までの間に、それまで垂れ流されっぱなしになってしまっているフリの部分が世間に多大な影響を及ぼしてしまう可能性も否定できないから。そこまでみんなちゃんとドラマとか見てないから。だから、全エピソードが放送される前に、批評するのも大事ではある。しかし、そう考えると、サブスクでエピソードを全話一挙配信みたいな昨今の流れって、割と理にかなっている気がするね。時間さえあれば最終話までしっかりと観てから批評できるから。でも、面白いテレビドラマを見ているときの、あの「次回が待ちきれない!」「どうなってしまうんだろう!」「最終話を見るまでは死ねない!」みたいな感覚もまた、サイコーなんだよなあ。難しいところだ。だから、まあ、途中のエピソードでの批評も仕方がないところではあるんだろうなって思うのは思うんだけど、ただちょっと気になるのが、割とそういうことをしている人って、そのエピソードがまだ途中だってことをけっこう無視して、断定的に批評し始める感じがしていて、そこはなんかちょっと引っ掛かったりもする。SNSでのウケを狙うがあまりに強い言葉を使っているだけなんじゃないかって気がしちゃう。まあ、実際にバズッているから、私の目に入ってきているわけなんだけども。それはそれで、その人の戦い方なんだろうけれど、ドラマを見てない人に「そういうドラマ」だって印象を与えちゃってる可能性について、ちょっとは配慮してもらいたいなあって思ったりする。……なんか、「芸人のネタを批評しているお前が言うな!」って言われそうだな。私は芸人のネタの批評はするけれど、社会的な問題が関わっている場合は慎重に取り扱っているつもりではあるよ。あくまでも「つもり」だから、意図せずして伝達されっちまうことはあるだろうけれど。ことによると向こうさんも同じことを思ってはいるのかもしれないな。いやはやなんとも難しい話だねえ……と、いったところで、お時間です。