白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

地方民が感じた『オンバト』の功績の話

かつて“最もシビアなお笑い番組”というキャッチコピーで知られていたネタ番組爆笑オンエアバトル』の後継番組『オンバト+』の終了から、今年で十年になるらしい。十年の歳月は伊達じゃない。十年も経ってしまえば、ピッカピカの小学一年生はテッカテカの高校一年生になっているし、フレッシュな社会人一年生は三十歳を超えて体力の下り坂に足を踏み入れている。それだけの年月が経過すると、番組の功績についても忘れられてしまっているような気がするので、今回はその偉大な存在について改めて書き留めておきたい(以下、ややこしいので、表記を『オンバト』にまとめる)。

オンバト』が偉大であると断言する理由の一つとして、全国放送であったことが挙げられる。『ENGEIグランドスラム』や『ザ・ベストワン』のような大型のネタ特番が頻繁に放送されている今の時代からは考えられないかもしれないが、ゼロ年代初頭のテレビバラエティにおいて、芸人のネタが放送される機会は非常に少なかった。そもそも若手芸人の存在そのものが認知されていなかったようにすら思う。そんな時代において、『オンバト』は不特定多数の無名の若手芸人のネタを全国に向けて放送していた。この「全国に向けて」という点が重要だ。放送局が天下のNHKだったことで、放送時間帯が深夜であったにもかかわらず、地方ローカル番組や番組の再放送に枠を奪われなかったのである。これにより、若手芸人の存在が地方に住んでいる人たちにも知れ渡るようになり、後の津々浦々にまで広がっていくお笑いブームへの流れを作っていったのである。

地方……といえば、『オンバト』が複数回にわたって地方収録を行っていたことも、ひとつの功績といえるだろう。地方在住のお笑いファンを生み出すことに成功した『オンバト』は、放送回数を重ねるごとに各地方での収録を開催するようになる。この地方収録には、たびたび地元で活動している無名の若手芸人が参加していた。その多くは、常連と呼ばれている芸人たちの前に敗れ去った……のだが、中には、地の利を生かした戦い方で高い評価を獲得することに成功した芸人も存在した。更に、その中には、この地方収録での評価をきっかけに、番組へと頻繁に出場するようになる者たちもいた。要するに、『オンバト』は地方芸人の発掘にも貢献していたのである。ちなみに、そうやって地方から発掘されて、全国のお笑いファンに知られるようになっていった芸人の代表格として、タカアンドトシ(札幌収録)とパンクブーブー(長崎収録)がいる。どちらも後にM-1の決勝戦に進出しているが、もしも『オンバト』への出場をきっかけにフックアップされていなかったら、またちょっと未来は違っていたかもしれない。

ただ、『オンバト』の最大の功績は、オンエアされなかった芸人たちの負け姿を放送したことにあるのではないか、と私は思っている。10組の芸人がネタを披露し、観客投票によって選出された上位五組のネタだけがオンエアされる『オンバト』のルールにおいて、下位五組になってしまった敗退者には何も得られるものがない……と、思われがちだが、そんなことはない。全国のお笑いマニアたちに、「こういう名前の芸人が存在する」と認知されるだけでも財産となり得るからだ。例えば、地方で芸人たちによる営業ライブが開催されることになったときに、出演者がまったく名前を知らない芸人だった場合と、『オンバト』で名前とビジュアルだけでも確認できている芸人だった場合とでは、まったく関心の度合いが変わってくる。「オンエアされなければ“つまらない芸人”という烙印を押されてしまう」と否定的に捉える芸人もいたようだが、必ずしもそればかりではないということは伝えておきたい。

他にも功績があったような気がするし、一方で罪の部分も少なからずあったような気もする(偏ったお笑いマニアを生み出したとか、芸人のネタを数値で考える傾向を作ってしまったとか、大衆ウケはしないが才能のある芸人のネタが評価されにくかったとか)けれど、今回はこの辺りで。