白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

自意識過剰問題。

欲しい本やCDを購入するために販売店を訪れて、目的の物を見つけられなかったときに、店員に対して「〇〇ありますか?」と尋ねることが出来ない。在庫を尋ねるほどに欲しているものがあることを店員に悟られたくないからだ。無論、店員にしてみれば、まったく気にするところではないのだろう。何十人・何百人とやってくる客の一人によるありきたりな行動に過ぎないのだろう。分かっている。分かっては、いる。それでも聞くことが出来ない。この不可思議な感覚の根本にあるのは、己の欲望を他人に明らかにすることの恥じらいなのだろう……と、最近までは思い込んでいたのだが、よくよく記憶の糸を辿ってみると、どうもそうではないような気がしてきた。どちらかというと、好きというほどのものではないけれど、なんとなく気になっていたものを購入するときに限って、店員に尋ねることが出来なかったような気がする。つまり、それを購入することによって、店員に「この人は〇〇が好きな人なんだな」と誤解されてしまうことを、なんとなしに恐れていたのである。店員にしてみれば、いよいよもって「知らんがな」な話である。まったくもって自意識過剰にも程がある。そして今、この性格が災いして、少し厄介な事態が起こっている。自宅のリビングにて、お笑い芸人のDVDを見るときや録画した賞レースの映像を見るときに、すぐそばで別のことをしている妻の目が気になるのである。特に注目しているわけではない芸人のネタを見ているときに、「この人はこういう芸人が好きなんだな」と勘違いされるような気がして、落ち着いて鑑賞できないのである。その結果として、ここ数年の私は、お笑い芸人のDVDや録画した賞レースの映像を、なかなか観ることが出来ない状態に陥っている。正直、困っている。これもまた妻にしてみれば「知らんがな」な話なのだろう。原因はすべて自分の心の中にある。故にややこしい。なんとか自分の中で折り合いをつけていきたいところではあるのだが……どうにかなる日は来るのだろうか?

(余談:その一方で、YouTubeを見ることは出来てしまうのだから、またややこしい。YouTubeの場合は、私がチャンネルに対して興味を抱くまでの行程を隣にいる妻も認識しているので、さほど気にならないようなのだ。結果、ここ数年の私は、YouTubeばかりをチェックしている。それはそれで別にいいのだが、ブログの方針的には良くない)