白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

夢も希望もないけれど、分かっちゃいるけど辞められない「芸人という病」(西堀亮)

若手芸人に興味を持ち始め、若手芸人の登龍門的存在だった『爆笑オンエアバトル』を見るようになって、驚いたことがある。それは若手芸人として活動している人の数の多さだ。毎週、まったく違った十組の芸人たちがネタで競い合う模様を収録することが成立させられるほど、多いという事実に驚いたのである。時は2002年。お笑いブーム黎明期である。

それまで、芸能に対して、さしたる関心のなかった当時の私だが、『ボキャブラ天国』の存在は認識していた。爆笑問題ネプチューンつぶやきシロー金谷ヒデユキなど、個性豊かな芸人たちが存在することも知っていた。だが、『ボキャ天』はメジャー枠とチャレンジャー枠の対抗戦であったがゆえに、芸人たちの入れ替わりの頻度がそれほど多くなかったため、それが氷山の一角であることに気付けなかったのである。番組に出演している芸人たちの背中のずっと向こうに、日の目を浴びることの出来ない芸人たちが存在するなんて、思ってもみなかったのである。

あれから二十年が経過して、状況は大きく変わった。『M-1グランプリ』を中心とした賞レースの盛り上がりに比例するかのように、若手芸人への注目度が上がった。賞レースに真剣に向き合う芸人たちの姿がカメラで撮影されて、全国的に放送されるようになった。テレビに出られない芸人たちは、YouTubeを駆使して自らの力で発信する方法を得た。ライブ会場や練習場、会議室や自宅などで自らの生活を撮影・編集し、エンターテインメントとして配信するようになった。その結果、彼らの実情は、当時に比べて格段に可視化され、多くの人に知られるようになった。

それでも、未だ世に知られていない芸人は、まだまだ数多く存在する。マシンガンズ西堀亮が、自身の手掛けるYouTubeチャンネル『西堀ウォーカーチャンネル』に出演する芸人たちにインタビューする様子を収めた『芸人という病』は、それでもなお知られていなかった芸人たちの実態を切り取った一冊だ。

本書に登場する芸人たちは、その大半が、本業だけで生計を立てることが出来ないために、バイトや副業で生活を成り立たせている。とはいえ、芸人として売れるための努力を重ねているかというと、そうでもない。芸歴を十年以上重ねてきた彼らは、第七世代と呼ばれた若手たちのような貪欲な姿勢を見せない。現状を維持しながら、コツコツと日々の暮らしをこなしている。

そんな彼らに対して、西堀は問い掛ける。「なぜ芸人を辞めないのか?」と。

一見、売れない芸人に対して投げかける質問としては、あまりにもストレートに暴力的な言葉だが、相手の言葉を丁寧に受け止める西堀の口調は、それを素朴な疑問として相手に理解させる。だからこそ彼らは素直に口を開く。思い思いの丈を、夢や希望などという甘ったるい着飾った言葉を使わずに、真っ直ぐな言葉で語っている。

無論、西堀自身がマシンガンズとして『THE SECOND~漫才トーナメント~』で準優勝するまで、彼らと同じような状況にあったことも、大きく影響しているのだろう。本書の大トリとして収録されている西堀に対するインタビューにおいて、氏は明確に「芸人としての心はとっくに折れていました」「芸人としての収入では絶対生きていけないレベルだったら、芸人を辞めていたかもしれないですね」と語っている。本書の企画は『THE SECOND~漫才トーナメント~』での準優勝が決まる前に走り出していたらしいのだが、下手をすると西堀の芸人引退とともに頓挫していたかもしれない。準優勝してくれて本当に良かったと心から思う。

テレビや雑誌の企画で見るような情熱に満ち溢れた芸人たちのドラマとは一線を画し、「芸人を続ける」ことを目標にしながら、地上からは見えにくいところでゆるゆると芸人として生き延びている彼らの生き様を記録しているという意味では、本書は誠に希少であるといえる。……当然のことながら、その向こうにも、まだまだ未知なる芸人たちが存在しているのだろうが。

ちなみに、私が本書を読んでいるときに、最も心がザワついたのは元・トップリードの和賀勇介に対するインタビューである。

他の芸人たちと同様、和賀に対するインタビューもまた、彼自身の経済状況と芸人としての実情について話を伺うものなのだが、彼の場合、そこにコンビからピン芸人になってしまった心境を聞くくだりが加えられているのである。

これが当時のお笑いファンとしては、とても読まれたものではない。

というのも、どうやら和賀は未だに、トップリードの解散が心の傷となっているように聞き取れる発言が見られるからだ。その心情について、西堀が代弁しているくだりが散見されるのだが、これが実になんとも……たまらない。もっとも、私が勝手に過剰に読み取っているだけなのかもしれないが、あの頃のトップリードを愛していた人には、覚悟して読むことを推奨する。