白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

『R-1グランプリ2024』のルシファー吉岡のコントを“社会風刺”と書いた理由について。

『R-1グランプリ2024』で披露されたルシファー吉岡のネタについて書いた感想文を読んでくれた古い読者から、「ルシファー吉岡のネタを、どうして“社会風刺の趣きの強いネタ”と評したのかが分からない」という意見を頂戴した。「そんなことはないだろう!」と驚きながら読み返してみると、説明を端折り過ぎていて、確かに意図が伝わりにくいように感じられた。というわけで本記事では、改めて『R-1グランプリ2024』で披露されたルシファー吉岡のネタを受けて、私がどうして社会風刺であるように感じたのかを説明したいと思う。

ここでいうルシファー吉岡のネタとは、彼がファーストステージで披露した一人コント『婚活パーティ』のことだ。婚活パーティに参加している男が、≪自己紹介タイム≫で入れ替わり立ち替わりやってくる相手の女性に自己アピールをしようと意気込んでいるのだが、やってくる女性たちがいずれも≪自己紹介タイム≫のシステムを理解していないため、その概要を説明しているうちに制限時間を終えてしまう……そんなネタである。男はこの状況を打破するために、様々な手段に打って出る。スタッフに説明を求めたり、他の男性にシステムの説明をするように女性たちに促したりするのだが、周りの人間が無知であったり非協力的であったりするために、なかなか上手くいかない。そこで男は、男が出来る範囲の中で、問題解決に打って出ようとするのだが……。

この≪自己紹介タイム≫における、男、他の参加者たち、無関心なスタッフらの構図は、社会に問題が発生したときの人々の反応そのものであるように、当時の私には感じられたのである。例えば、≪自己紹介タイム≫は社会を構築するシステムそのもので、参加者は私たち国民である。つまり、≪自己紹介タイム≫の意味を理解していないまま何も不満を言い出さずに不利益が生じる状況を受け入れている参加者は、社会のシステムを理解しないままに受け入れてしまっている愚鈍な国民を表しているのである。

そんな中で、≪自己紹介タイム≫に起こっている問題に気付いてしまった男は、いわば運動家の類いである。自らを含めた、すべての参加者に平等にチャンスが与えられるよう、この状況を改善するために、男は立ち上がる。ところが、他の愚鈍な参加者は自らに降り掛かっている不利益に気付いていないし、≪自己紹介タイム≫に関わっているスタッフは知らんぷりを決め込んでいる。状況の改善を訴えかけても、誰の耳にも届かない。響かない。そこに一人の女性が現れる。速やかに開始される≪自己紹介タイム≫が、彼女を男の前に初めて現れた理解者であることを指し示している。だからこそ、あのオチの失望感たるや……。

無論、ルシファー吉岡が意図的に、このネタをそういうニュアンスで作り上げたとは思わない。だが、人間の営みの中で作られた社会の中で、私たちもルシファー吉岡も生きていることは確かだ。当人が意図しないところで、そういう社会に対する意味が生じてしまった可能性は否定できない……もとい、こういう作り手の答え合わせの域を超越した要素の類推にこそ、批評・評論の醍醐味があるといえるのだが。ともあれ、放置されたシステムの不備、それに気付いた孤独な男の訴えと無関心な参加者の対比、改善されないシステムが、このコントでは描かれていて、それらの構図が社会問題のそれに似ているのは事実であり、だからこそ、このコントが風刺の趣きがあると表現し、「吉住のコントを否定する人たちは、それならば、このコントの構造に注目すべきだったのではないか?」と感じた次第である。

こちらからは以上。