白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

あばれヌンチャクの記憶

元「あばれヌンチャク」の竹内幸輔氏が亡くなった。45歳だった。

かつての相方で、晩年はピン芸人桜塚やっくん」として活動していた斎藤恭央氏は2013年に亡くなっているため、これであばれヌンチャクというコンビは完全にこの世から消滅してしまったことになる。2005年にコンビそのものを解散しているため、消滅もへったくれもないのだが、それでもかつてのパフォーマンスを体験している人間としては、一抹の寂しさを覚えずにはいられない。

あばれヌンチャクのネタを初めて目にしたのは、2002年1月に放送された『爆笑オンエアバトル』。お笑い芸人に対する好奇心が芽生え、番組を視聴し始めた頃のことである。その日は、テツandトモだいたひかるスピードワゴンなどの面々によるパフォーマンスがオンエアされていた。だいたひかるはこの日が初オンエア。『エンタの神様』で披露していたような「どうでもいいですよ」スタイルはまだ確立されておらず、海のものとも山のものともつかないような振る舞いが強烈なインパクトを与えた。

そんな芸人たちの中に、あばれヌンチャクもいた。

あばれヌンチャクのネタは、いわゆる子ども向け番組のフォーマットを模倣したものだった。斎藤が“やっくん”としてポップなキャラクターを演じ、子ども向け番組を成立させようとするのだが、竹内扮する黒いスーツの“おにいさん”が披露するブラックな歌やイラストに振り回される……というのが基本的な構図だ。子ども向け番組の朗らかさとネタの内容のブラックさを掛け合わせることで生まれるギャップが、たまらなく面白かった。

この日、彼らが披露していたネタは「なぞなぞソング」。竹内がキーボードを演奏しながら歌い上げる「なぞなぞソング」に合わせて、斎藤がスケッチブックをめくっていく。内容はやはりブラックだ。特に印象に残っているのは、『すうじのうた』のメロディで歌っていた、以下のくだり。

竹内「すうじのいちは、なぁ~に?おーじーいーちゃーん♪」
 (首が横に曲がっているおじいちゃんのイラスト)
斎藤「ネックブロークン!」

なにせ二十年前のことなので、ひょっとしたら、この日に披露されたネタではなかったかもしれないが、このくだりに大爆笑した記憶がある。以後、おじいちゃんはイラストの中で延々と蹂躙され続け、最終的には星になってしまう。そこに描かれているのは明確な死だったが、あまりの軽さとバカバカしさで、笑わずにはいられなかった。

このネタに限らず、あばれヌンチャクのネタでは、よく人が死んでいた。今ではきっと許されない描写だろう。否、2005年にオンエアされたヤポンスキーのネタに対し、かわいいキャラクターが自殺しようとするシーンにクレームが入っていたことを思うと、当時でもそれなりにギリギリだったのかもしれない。

ネタの中でおじいちゃんを死に追いやって笑いに昇華していたコンビが、どちらもおじいちゃんになる前に亡くなってしまったことは、無念でならない。