白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

女芸人のグラビアを見つめ続ける時代おくれの男になりたい

先日、近所の信長書店に足を踏み入れた。DJ SODAが表紙の週刊プレイボーイを購入するためである。週刊誌を買う習慣がないもので、当初、週刊誌はコンビニに行けば買えるものだろうと思っていたのだが、何処にも見当たらなかったので、自宅からほど近いところにあるアダルトグッズを専門に取り扱う信長書店へと出向くことになった次第である。

目的はDJ SODAではない。『M-1グランプリ2017』においてベストアマチュア賞に選ばれ、現在はワタナベエンターテインメントに所属している親子の漫才師、完熟フレッシュ池田レイラの水着グラビアを掲載しているというので、それを目当てに買い求めたのである。注目され始めた時期のレイラはまだ中学生だったこともあって、今回の彼女のグラビアデビューに一種の嫌悪感を示す人も多いようだが、「背徳感はエロスのスパイス」と考えている自分としては、さほど気にならない。我ながら、ろくなもんじゃない。

そもそも女芸人のグラビアそのものに一種の背徳感があるように思う。テレビバラエティに出演している芸人たちに求められているのは、自身が築き上げてきたキャラクターとしての役割である。それぞれがそれぞれの役割を担い、その仕事を全うすることで、作り手の期待する番組はパッケージとして成立する。そこに性的な要素は必要とされない。むしろノイズとなってしまう。時には、敢えて性的に振る舞うことを求められる場面もあるが、それはあくまで役割の延長線でしかない。その行く先は性的エクスタシーではなく爆笑である。そんな彼女たちが、カメラの被写体としてとはいえ、普段は完全に隠しきっているエロスの表情を真っ正面から見せつけてくるのである。これほどの背徳感は、なかなか得られるものではない。

もっとも、その背徳感は同時に、芸人としての仕事に支障をもたらす危険性も孕んでいる。本質的なエロスが可視化されてしまった瞬間、単なるキャラクターではいられなくなってしまう可能性があるからだ。その意味では、芸人としてのポップな振る舞いとセクシーなグラビアを見事に両立させている、ぱーてぃーちゃん・信子は見事としか言いようがない。否、彼女の場合、ギャルというキャラクターによって、むしろ芸人としての実力を巧みに隠している感がある。いずれ表沙汰になる日が来るだろうか。

(ただ、昨今の芸能は、時代の変遷と共に"自分らしく生きる"という方向へとアップデートする方向へと進んでいる感もあるので、女性芸人のグラビアデビューに、背徳感を覚えることもなくなっていくのかもしれない。それもまた、一人の人間としての自己表現として、当たり前に受け入れられていくのだろう)

ちなみに、実際に池田レイラのグラビアを見てみたところ、グラビアアイドルの魅せる体型というよりも、躍動するパフォーマンスを魅せるための分厚い肉体といった印象を受けた。そこにもまた相応の需要というものはあるのだろうが、いずれにしても、グラビアデビューするには少し早すぎたような気がする。今後はどうなっていくのやら。