白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

それでもやっぱそれでいてやっぱり志村のソレがいい!

久しぶりにフジファブリックのアルバムをちゃんと聴く。

志村正彦がフロントマンを務めていた時代のアルバムである。志村の訃報から十四年の月日が経過し、今やフジファブリックは、山内総一郎をボーカルとしたスリーピースバンドとして確固たる存在感を放っている。私自身、現体制になってからリリースされた曲の中には、何度も聴くほどには好きな楽曲がいくつもある。それでも、あれから十四年の間に、志村時代のアルバムを積極的に聴こうとしなかったのは、やはり心のどこかで、「もう志村の新しい楽曲を志村の歌声で聴くことは出来ない」という事実と向き合うことから目を逸らしたい気持ちがあったからなのだろう。

私が初めて耳にしたフジファブリックの楽曲は、2005年にリリースされた四枚目のシングル『銀河』である。

近所の古本屋で立ち読みをしていると、店内に流れる有線放送でこの曲が流れ始め、その強烈なフラッシュのようなイントロに、まさしく雷を受けたような衝撃を受けたことを、今でもはっきりと覚えている。そのため、この曲を収録しているアルバム『FAB FOX』には、他のアルバムよりも強い思い入れを抱いている。今回、すべての志村時代のアルバムを通して聴いてみたが、心に強く引っかかったのはやはりこのアルバムだった。

FAB FOX

FAB FOX

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志村時代のフジファブリックの代表作といえば、エネルギッシュな若者とされる短い時代と暑い夏の終わりの儚さを重ね合わせた『若者のすべて』だと世間一般にはイメージされているが、リアルタイムで聴いていた身としては、彼の魅力は他に類を見ない変態性の強い楽曲でこそ爆発していたように思う。特に、個人的に衝撃だったのは、フェティッシュな着眼点の歌詞を軽妙に歌った『唇のソレ』、重たくて深いサウンドでアーティストとしての矜持を力強く歌い上げている『地平線を越えて』、女性との怪しげな時間をエロティックというよりはコミカルなサウンドで表現している『マリアとアマゾネス』の三曲の流れである。別角度から繰り出されるパンチの数々に、多感な時期を迎えていた私はすっかりノックアウトされてしまったのだった。十四年が経過した今でもノックアウトされている。完全なる唯一無二だ。

当時のアルバムを聴き直し、改めてその才能を認識したところで、志村が戻ってくるわけではない。喪失感は喪失感のまま、相も変わらず心の奥底にこびりついているだけだ。だが、志村が残してきたアルバムを聴き直したことで、「二十九歳の若さで亡くなってしまった悲劇の天才・志村正彦」という自分の中のバイアスから、「変態的な楽曲を数多く生み出してきたアーティスト・志村正彦」へと、僅かながらにシフトチェンジ出来たような気もする。ある意味、十四年が経過した今になって、やっと向き合えたのかもしれない。