令和時代のお笑い公論

心が腐る、その前に。

人生の『前線』に立つということ


私が思春期まっしぐらの学生だった頃に比べて、音楽番組がすっかり少なくなってしまったこともあってか、今や最新の音楽を知るためのメインツールが深夜ラジオになってしまった。バカバカしい芸人たちの会話の合間にそっと流れる最新の音楽は、時に私の心をグッと掴みかかってくる。最近、amazon music unlimitedに登録したので、ちょっと気になるミュージシャンがいれば、すぐさま楽曲をチェックできる。おかげで、ラジオだと一部しか聴くことの出来ない曲をきちんとフルで確認できるし、興味が深まれば他の楽曲にも手を伸ばすことが出来る。しみじみと凄い時代である。以前なら、レンタルショップの公式サイトで在庫を調べ上げて、直に店舗へ音盤の獲得に向かっていた。今はちょっとクリックするだけで合法的に幾らでも聴き放題だ。

最近、ラジオ番組で耳にして、毎日のように聴いているのがヒグチアイの『前線』である。以前にもラジオで流れていた『猛暑です』も素晴らしい楽曲で頭にタイトルが焼き付いていたのだが、今回の楽曲はその衝撃を更に上回ってきた。なにせ冒頭の歌詞がいきなり凄い。【深夜3時 ファミレスのドリンクバーは優しい】。この微塵も無駄のない言葉で、即座に状況を想像させると同時に、歌詞の当事者の心境を色々と妄想させられる。そこから歌詞は更に言葉を適切に連ね、より明確な画をリスナーに提示する。その光景に見覚えのある人は、きっとメディア業界には少なくないのだろう。ここ数週間のうちに、この曲を様々なラジオ番組で耳にした。分かるのだろう、その孤独を。分かるのだろう、そのやるせなさを。そして、サビの最後の歌詞に、深く頷くのだろう。【逃げるな 逃げなければ その場所が前線だ】。逃げなかった人たちにも、逃げてしまった人たちにも、その歌詞は突き刺さる。

だが、二番の歌詞で、その自問自答の渦の中で狭められた視界は一気に広がっていく。自分とは違う道を選んでしまった人を見て、自分の選んだ道は果たして正しいのかどうか、思い悩む。そして、ありきたりではあるけれども、紆余曲折の果てに辿り着いた結論の凄味。それは救いであり、許しであり、と同時に「逃げるな」とストレートに呼び掛けてくる。さて、今の私は、私自身の前線を進んでいるのだろうか? それとも心の声に背いて前線から逃げ出しているのだろうか? 間もなく三十五歳、未だに立たず、こんな感じで。