白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

お好み焼きを遊ぶ。

お好み焼きを作る。

まず、お好み焼き専用の粉が入っている袋を取り出して、すみやかに開封する。袋の口を開くと、ほんのりと出汁の香りが。かぐわしい。早くも完成形への期待が高まる。一回の調理に必要とされる重量の粉をボウルの中に入れて、そこに指定されている質量の水を注ぎ足す。粉の量に比べて、水の量があまりにも少ないので、なんだかちょっと頼りない。砂漠に水撒きしているような感覚。そこに菜箸を突き刺して、分離している粉と水が、混ぜ合わさるようにかき回す。案の定、水の量が少ないので、すぐさま粘土のような状態になっていく。菜箸を通じて、手に伝わってくる粘り気。子どものころに作ったスライムの玩具を思い出す。

ある程度、粉と水が合わさって、ひとつの物体が形成されていることが確認できたところで、そこに卵を二個ほど加え、再びかき混ぜる。液状のものが追加されたことで、粘土のようになっていた物体が泥のように変化を遂げる。先ほどまで真っ白だったカタマリに、卵の黄身が混ざることで、うっすらと黄色い物体に変色し始める。単なる素材が食物へと一歩だけ進んだような気がする。うれしい。

それなりに混ざり合ったところで、いよいよ本格的な具材を投入する。ざく切りキャベツ、きざみネギ、使い切れなかった大葉、何かに使うだろうと思って買ったものの放ったらかしにしていたキノコ類、我が家では海鮮として捉えているシーチキンの缶詰や魚肉ソーセージなどなど……基本的に、冷蔵庫の中に入っているものならば何を入れても構わないことにしているのだけれど、ついつい無難なところに落ち着いてしまう。ただ、やわらかめの具材ばかりを使っていると食感が楽しくない(出汁の利いた流動食のような状態になる)ので、調理後にもしっかりと個体としての形が残る具材を入れ忘れないように心掛ける。私の場合、そういった食感については、冷凍のシーフードミックスに担当していただくことが多い。塩水で解凍されたエビ・イカ・アサリの食感はとても心強いし、風味も豊かだ。

それらの具材がすべて投げ込まれたボウルの中身を、更にかき混ぜていく。菜箸を持つ手が重さは、完成形の充実に比例している。しっかりと混ぜ込んでいく。すべての素材に泥状のお好み焼き粉がへばりついていく。それぞれのぼこぼことした具材の主張が強すぎて、果たしてこれが本当にひとつのお好み焼きになってくれるのかと心配になる。

混ぜ終えたら、フライパンにサラダ油を引いて、コンロの火にかける。弱火から中火ぐらいでじっくりと温める。中華料理マスターを気取ってアツアツの状態にしたい衝動をぐっと抑える。あんまり火力が強いと、表面ばかりが焼けて、中身に火が通らない。

サラダ油がフライパンの上で華麗なカーブを決めるほどに温まったら、いよいよ焼きの作業である。おたまを使って、様々な具材を包み込んでいるビフォアお好み焼きを、フライパンの上に載せていく。載せた瞬間、ジュワッと焼ける音がする。たまらない。私の心臓には「大きいことはいいことだ」という古き良き時代の思想が流れているため、ついついフライパンいっぱいにお好み焼き粉を広げてしまいたくなるのだが、後々にひっくり返す工程が待ち構えているので、ここは我慢する。時折、ビフォアお好み焼きがフライパンにへばりつかないように、取っ手を掴んで激しく揺さぶる。全身運動。全身を揺らすことで贅肉を落とすダイエット器具に乗っている自分を思い出しそうになる。あんまりよろしくない連想だ。

タイマーで2分から3分ほど焼いたところで、ビフォアお好み焼きをひっくり返す。いわゆるところの醍醐味というヤツである。起承転結でいうところの転。少年漫画でいうところの仲間との別れ。恋愛ドラマでいうところのすれ違いによるケンカ別れ。迂闊に触ると壊れてしまいかねない繊細な場面だ。ゆっくりとビフォアお好み焼きの底面にフライ返しを滑り込ませて、グッと持ち上げる。しっかり焼けていれば、さほど形が崩れることなく持ち上がるのだが、焼きが甘いと割れ目が入ってしまう。形が変わったからといって、味が変化するわけではないのだろうが、出来ることなら素敵な状態で完成させたい(お料理ルッキズム)。緊張。白熱。発汗。ええい、ままよっ。ぐわっとビフォアお好み焼きを持ち上げて、どわんとひっくり返す。成功するときは成功するのだが、成功しないときはクレープの出来損ないのような状態になってしまう。まあ、先ほども申し上げたように、どちらにしても味は変わらない。きちんと火が通っている上で、それなりに美味ければいいのだ。人生と同じ、とかなんとかいってみる。

ビフォアお好み焼きをひっくり返したら、そこからまた2分から3分ほど熱を加える。ひっくり返す前よりもフライパンの温度が上がっていることが多いので、先ほどよりは短い時間を想定した方が良いのかもしれない。裏面からもしっかりと火が通ったら、もう一度だけひっくり返す。全体的に焼き上がっているので、先ほどよりも簡単にひっくり返る。この頃には、もはやビフォアお好み焼きなどではなく、立派なお好み焼きとしての存在している。「あの頃はただの粉末でしかなかった我が子が、こんなに立派になって……!」と保護者のような立ち位置から涙を流しそうになる。嘘だけど。1分ほど温めたところで、焼きの工程は終了。フライパンの底で堂々と鎮座するお好み焼きを、うやうやしく皿の上へと移動する。お好み焼きの上に皿をひっくり返すように置いて、そのままフライパンをひっくり返すと、焼き上がったままの形で皿へと移動できるから楽チンだ。

いよいよ実食である。どのように食べても構わない。オーソドックスにソースやマヨネーズをかけてもいいし、出汁がきいているのでプレーンで食べてもいい。好きなように食べればいい。というか、正直なところ、お好み焼き作りの工程において、もはや食事はオマケに過ぎない。お好み焼きを作るという行為そのもののエンターテイメント性を楽しみきった後では、食事そのものはさして重要ではない。焼肉を食べた後に食べるデザートのアイスクリーム、映画を観終わった後に食べる喫茶店のパフェ、テーマパークの帰りに立ち寄ったファミレスのポテトとチキンナゲットのようなものである。すべては余韻。余韻を味わうようにして、お好み焼きを食べるのだ。

みんなも作ってみてね。