白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

誰かにとっての救世主になっていたかもしれない話。

先日、新発売の本を買うために、高松市にある某書店へと出かけた。ただ手に入れるだけであれば、近所の本屋や通販サイトで注文して済ませることも出来るのだが、その本には限定特典として複数の漫画家によるイラストを掲載した小冊子が付いてくることになっており、それを取り扱っている書店が県内では高松の某書店に限られていたため、自動車で一時間ほどかけて県庁所在地まで足を運んだ次第である。

幸いにも、書店に足を踏み入れると同時に、目的の本を発見することが出来た。しかし、手に取ってページをめくってみても、中には何も入っていない。【小冊子付き】などのような説明書きも見当たらない。先にも書いたように、小冊子は限定特典である。発売から数日が経過していることを考慮すると、ひょっとしたら特典分が出払ってしまっている可能性も否めない。とはいえ、ここで小冊子が手に入らなかったからといって、わざわざ他県の取扱店舗にまで出かけるほどの気力は持ち合わせていない。なので、とりあえずこの本をレジカウンターまで持っていって、会計を済ませながら、さりげなく問い合わせてみることに決めた。無いなら無いでしょうがない。

レジ周りの様子を伺ってみると、運の良いことに並んでいる客の姿は見当たらない。ここぞとばかりに店員の元へと突撃し、会計作業を始めてもらう。持ち運び用のビニール袋が用意され、紙製のブックカバーが本へと掛けられ始める。小冊子が取り出されるような素振りは見られない。ここで話を切り出す。「あの、この本って、特典で小冊子が付いてくるみたいなんですけど……」。すると、店員は作業中の手を止めて、顔をあげて「少々お待ちください」と言い残し、レジカウンターの奥にある棚を確認し始めた。

この時点で私は、店員が小冊子の在庫がまだ残っているのか、その確認しているのだろうと思い込んでいた。だが、それはとんだ勘違いだった。何故ならば、店員の表情にはっきりと緊張感が漂っていたからだ。奥の棚を探し終えた店員は、続けてレジカウンター内にあるパソコンで何かを調べ始めた。何を調べているのかは、こちらからは見えなかったので分からない。それから他の店員を呼び出して、相談を始めた。声量を抑えてひそひそと話してはいたが、なにせ目の前で会話しているため、聞こうとせずともうっすらと内容が耳に入ってくる。「見てない」「あるらしいんですよ」「他の店じゃないの」「サイトにはこの店の名前が載っているんですよ」……。どうやら私が購入しようとしていた本の特典として付いてくる小冊子の存在を、本屋の店員は把握していなかったらしい。そんなことがあるのか。

いつの間にやら、店員の数は四人にまで増えており、全員が小冊子の有無を確認するためにあっちこっち走り回っていた。その慌てふためいている姿に、なにやら罪悪感を覚えそうになったが、発売直後ならばまだしも、発売日から数日後の午後の時点で、棚に並べられている本の特典の存在を把握していなかった店側に非があるのは明確である。とはいえ、そうこうしているうちに他の客が会計にやってくるし、その度に店員は対応に追われているし、だからといって私に出来ることなど何もない。ただただ立ち尽くし、一刻も早く小冊子の有無が判明することを、祈るばかりである。どれだけの時間が過ぎたか分からない。最終的に、レジカウンターの奥にある倉庫のようなところから、店員の手によって小冊子が無事に発掘され、私の元へとやってきた。会計を済ませ、本と小冊子の入れられたビニール袋を受け取り、店を後にする。

そのまま別の書店へと移動している最中、私は頭の中で妄想を膨らませていた。

もしも私が限定特典の存在について問い合わせていなければ、あの書店で同じ本を買い求める人たちの元に小冊子が届かなかったかもしれない。そのうちに本の在庫がなくなってしまったとしても、小冊子の存在は誰にも気付かれることなく、静かに書店の倉庫の片隅で眠り続けていたかもしれない。しかし、私が問い合わせたことによって、店員は小冊子の存在に気付き、これから同じ本を買い求める人たちの元に届けられることになる。いわば私は、その書店で同じ本を買い求めようとしている人たちにとって、意図せずして救世主になれたわけだ。無論、これは本当に大袈裟な表現だし、そもそも本気でそんなことを思い込んではいないのだけれど。でも、とはいえ、その起こり得たかもしれない最悪の可能性の芽を摘めたという意味では、まあ良いことをしたのだろう。善意によって生まれたものが、事故によって、本来届けられるべき人のところに届かないなんて、あまりにも哀しすぎるわけだし。

……しかし、そうなると私よりも前に、あの本を買い求めた人がいた可能性は……?