白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

何言ってんだかわかんない2

少し前に、とあるテレビプロデューサーの振る舞いについて、腹を立てたことがあった。氏が手掛けている番組の放送終了後、その番組のゲスト出演者がはっきりとは告知されていなかった(そのゲストは放送の数日前に不祥事を起こして活動自粛が発表されていた)理由について邪推した一般視聴者のつぶやきに対して、引用の形式で言及していたためである。氏が一般のテレビプロデューサーであれば、そこまで気にかけることはなかったのだろう。だが氏は、自身の名前を冠したラジオ番組でパーソナリティを務め、100万人を超える登録者を抱えたYouTubeチャンネルを運営し、テレビ番組でMCの仕事もこなす、いわゆるインフルエンサーだ。そんな氏が、引用という自身を支持するフォロワーにはっきりと見せつける形式で、一般視聴者のつぶやきに対して批判的に言及するという行為は、ネット炎上を誘発しかねない、とても危ういものだと感じたのである(念のために付け加えるが、インフルエンサーが一般人のつぶやきを批判するべきではない、という話ではない。ここで言及しているのは、あくまで影響力のある人が“引用”という手法を取ることによって、もたらされる事態に対する危惧である)。当時、私は過去の炎上事例や自らの炎上経験を挙げながら、この行為の危うさについてSNSで疑問を呈したのだが、さほど共感を得られなかった。それどころか、「番組の制作者には敬意を表さないといけない」という真反対の反応を見かけ、強い脱力感に襲われたように記憶している。この件は、むしろ視聴者を影響力のある制作者が管理してしまえる可能性について、疑問視したつもりだったのだが……。この時、私は徒労感とともに、怒りの感情を他人に伝えることの難しさについて学ばされたのであった。……そんな記憶が、ここ数日の朝日新聞に掲載された野沢直子による人生相談に対する激しい反応を見ていて、ふと蘇ってきた。正直なところ、私はこの件について、あまりピンときていない。相談に対する野沢氏の回答が良くないものないらしいということは理解できたのだが、だとすれば、相談者に対して何と回答すべきだったのかが、私には分からないからだ。野沢氏の姿勢が良くないというのであれば、どう対応すべきだったのか。不正義や理不尽な行いを許せないという感情を止められない、怒りに燃えて困っています、という相談者に対して、どのように答えればいいのか。肝心なところが分からない。分からなさがジャマをして、共感のトリガーが引かれないから、怒れない。当時の私を見ていた人たちも、このような感情になっていたのかもしれない。まあ、共感を得られないからといって、だから怒らないという選択肢もないのだけれど。

追記。野沢氏の件について、時事芸人のプチ鹿島氏が文春オンラインにコラムを寄せていた。野沢氏の回答をやたらに持ち上げ、冷笑的な態度をアピールする朝日新聞の記者を厳しく批判する内容のものだ。

そこにさり気なく、本文で私が気に掛けていた相談者に対する自身の回答についても言及されていた。曰く「ニュースを見るという姿勢は大事」「権力者は「無かったことにする」のが常套手段」「ニュースを見て思い続けるだけでも有効な手立て」とのこと。その態度が正しいのかどうかは無知な私には分からないが、きちんと相談者に寄り添う姿勢を見せてくれたことに、改めてプチ鹿島という芸人を好きでいて良かったなあと思ったのであった(元々の「俺のバカ」というコンビが好きだったのだ)。