白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

本や手紙を読むスタイルの漫才は怠けているのか?の件について

先日、懐から本や手紙を取り出して読み上げるスタイルの漫才について、「実際に本や手紙にネタを書き込み、それを読み上げることで暗記を怠けているのではないか」と考えてしまう……という旨のテキストを目にした。なにやら懐かしい気持ちにさせられる指摘である。リアルタイムで『爆笑オンエアバトル』が放送されていたころ、番組のファンサイトで似たような感想を書いている人を見かけた記憶がある。当時の番組に出場していたチャイルドマシーンというコンビが、まさに本や手紙を読み上げるスタイルを得意としていたため、頻繁に槍玉にあげられていた。そんな風に考えてしまう気持ちは分からなくもない。きっと、そういった指摘をされている人たちにとって、読み物スタイルの漫才は台本を片手にネタを披露しているように見えるのだろう。ただ、だからといって、このスタイルの漫才をするときに、手に何も持っていないのに、さも本や手紙を持っているかのような仕草でネタを演じられても、それはそれで違和感を覚えることになりそうな気もする。記憶を怠っていると思われても実物を用意するか、違和感を覚えられてもマイムで表現するか、どちらを採用するべきか。その試行錯誤の結果として、前者が採用されたのだろう。……そういえば、いつだったかますだおかだが読み物漫才のネタを披露するときに、靴の中敷きの裏側に書いてきたというボケを披露していたことがあった。当時は単なる小ボケとして捉えていたが、あれは彼らなりの読み物漫才におけるひとつの打開案だったのかもしれない。おそらくは考え過ぎなのだろうが。ちなみに、以前に聞いたところによると、実際に本や手紙に台本を書き込んでしまうと、どうしても文章を目で追ってしまうために、漫才の肝ともいえる間が崩れてしまうらしい。あれはあくまでネタを演じる上での演出の一環として見るぐらいが良さそうである。