白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

『M-1グランプリ2023』ファーストステージ:令和ロマン

賞レースにおいて、トップバッターは不利だとされている。以後、出番を控えている出場者たちの漫才の出来が未知数な状況下では、どうしても高すぎる点数をつけられないからだ。それ故に、長年にわたるM-1の歴史においても、トップバッターから最終決戦へと進出を果たした実例は、非常に少ない。具体的に挙げると、2001年大会の中川家、2005年大会の笑い飯、この二例のみである。その意味では、トップバッターに選ばれてしまった令和ロマンは、間違いなく不利な状況だったといえるだろう。

そこで彼らが披露した漫才は、少女漫画などにありがちな“主人公の女の子が曲がり角で転校生の男の子とぶつかるシーン”に対し、髙比良くるまが“二人が曲がり角でぶつかってしまうということは、それぞれ別々の方向に向かっていることにならないとおかしい。彼らの向かっている学校は何処にあるのか?”という旨の疑問を呈し、相方の松井ケムリとともに考察する……というもの。

ネタの勘所は二点。

一つ目は、舞台上のくるまがしゃがみ込んで、客席に向かって「それをマジで全員で考えたくて」と語り掛けるくだり。誰しもが適度に興味を惹かれるテーマを提示した直後、話の世界に観客を巻き込む状況を作り出し、彼ら彼女らをネタの参加者として意識させることで、ネタに集中する空気を構築している。もっとも、この直前に「そんな松井ケムリさん率いる皆さんにですね……」と、軽めのボケとして観客に呼びかけている時点で、既に仕掛けは始まっていたのだろう。この客イジりとも捉えられそうなラインをギリギリでかわしているスムーズなツカミ、見事としか言いようがない。

二つ目は、漫才の中盤で模範解答を叩き出してしまいそうになったくるまが、「ちょっとダメだ、これあんま面白くない」と引っ込めてしまうくだり。素っ頓狂ではありながらも真剣に正解を探している素振りを見せていたくるまが、ここで急に冷静になって、エンターテインメント性の高い回答を重視する方向に切り替える様は、それまで熱心に考察を鵜呑みにしていた観客の気持ちを見事に裏切るもので、非常に面白かった。このくだりはオチの「どうでもいい正解を愛するよりも、面白そうなフェイクを愛せよ」にも直結している。どちらも、正解を出すことを前提とした漫才だったからこそボケとして成立しているが、これらのくるまの台詞こそ漫才の本質といえるものなのではないだろうか(などと言われることも想定して、こういうオチを用意したのではないかという気もしている)。

また、視覚的な効果を重んじたボケが多かった点も、無視できないところだろう。ケムリの髭面イジりに始まり、パンのジャムの動き、日体大の集団行動の曲がり方、先代に向かってすしざんまい、学校の裏門と正門……などなど。躍動感に満ち溢れた仕草をクドいほどに繰り返すことによって、これから始まる決勝戦の中でも忘れられないような記憶に残りやすい効果をもたらしていた(終盤の女将のくだりでは、そのクドさが上手く笑いに転換されていなかったように思えたが、それも「すしざんまい」の天丼できちんと取り返していたあたり、意図的にやっていたことなのだろう)。

ただ、トップバッターでありながらも、最終決戦に残るほどまでに彼らの存在が多くの人たちの記憶に残っていたのは、ネタの後のフリートークの場において、くるまが自由奔放なキャラクターに振り切っていたことが、漫才以上に大きな効果を生んでいたのではないか、と思う。あの僅かな時間で、令和ロマンが既存のM-1ファイナリストとは少し違った、M-1という大会にあるべき振る舞いを明確に理解しているコンビであるということを証明したからこそ、最後まで記憶に残り続けたのだ。無論、ネタがきちんと評価されていたことを大前提とした上で、の話なのだが。