白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

バカリズム『銀行弱盗』について考える。


例えば、目の前にピストルを手にしている人物がいるとする。

ピストルが脅威であることを私たちは知っている。実際にピストルを目にしたことがなかったとしても、それがどのような効果をもたらす道具であるかを、私たちはドラマや映画、或いは海外のニュースなどの映像から得た情報で理解している。なので、目の前の人物に対して、私たちは少なからず警戒する。その脅威が自分に向けられる可能性があるからだ。

もっとも、その人物が持っているピストルと思しき存在が、果たして本当にピストルなのかどうかは分からない。プラスチック弾を発射するエアガンかもしれないし、単なるモデルガンの類いかもしれない。よくよく見ると、真っ黒な昆布かもしれないし、黒い子猫かもしれない。可能性は無限に広がっているが、それを一瞬でもピストルとして認識したからには、予断は許されない。その人物の一挙手一投足に注目しながら、しかし不自然にはならないように、命がけで対応しなくてはならない。

これはピストルに限った話ではない。

ナイフであれ、包丁であれ、バールのようなものであれ、それを手にしている人物が目の前にいるとき、私たちは多かれ少なかれ、緊張感を抱いている。その人物に危害を加えようという意図があろうとなかろうと、なにかしらかの事故によって、その矛先が自分に向けられてしまう可能性があるからだ。

だが、それはあくまで、その手にしている道具が、使い方によっては脅威となり得るものであると認識しているからこそ、成立する。では、それが確かに、一定の脅威となり得るものであったとしても、それによって生じる危害が想定できなかった場合はどうなってしまうのか。

バカリズムの『銀行弱盗』は、銀行の窓口にやってきた男がブーメラン片手に強盗を試みるコントである。

銀行員に向かって、男はブーメランが如何に危険な道具であるかを力説する。だが、銀行員には、その恐ろしさがまったく伝わらない。男がどれほどブーメランの攻撃性について説明したところで、スポーツ用の玩具としてのイメージを払拭することが出来ないからだ。結果、まったく相手にされることなく、完全に無視されてしまう。みっともないったらありゃしない。

無論、ブーメランは脅威になり得る。狭い銀行の中で利用することが出来るのかどうかは分からないが、少なくとも鈍器としての役割を果たすことは可能だろう。だが、男の説明だけでは、それを想像できない。ここで男がすべきだったのは、そのブーメランでもって銀行内の何かを破壊して、その脅威を周囲の人々に見せつけることだったのだろう。少なくとも、男の攻撃的な人間性をアピールすることは出来た筈だ。だが、それをやらない。いや、出来ないのだ。そもそも強盗にやってきているのに、銀行員に指示されて順番待ちをさせられている時点で、男の気弱な性格はバレている。男に他人を傷つける覚悟はない。

ブーメランはあくまでもコント的誇張表現に過ぎず、このコントの芯の部分は、そんな男のみっともなさをコミカルに見せるところにある。

(以下、ネタバレになります)

自分のブーメランの話をまったく聞いてもらえなかった男はすっかり拗ねてしまい、逆に銀行員のことを突き放そうとする。そして言い放つ。「あなたがたはそうやって、人の価値を持っている武器で判断するんですか!」と。重ねて申し上げるが、それはまったくの間違いである。ブーメランを持参してナメられているのは男自身に問題がある。

これを踏まえた上で、ここからオチに至るまでの男の台詞に注目すると、このコントの真の意図が見えてくる。その台詞はまさしく、身勝手なことばかりしている生徒たちをまとめられずに授業中であるにもかかわらず職員室に戻ってしまう教師の振る舞いそのものなのだ。これを意識しながら、このコントを改めて鑑賞してみると、非常に味わい深い。自らの技量不足が故に、伝えなくてはならないことを上手く伝えられず、伝える相手から軽んじられ、挙句の果てに逆ギレ……。このコントは、そんな教師の姿勢を皮肉ったものだったのではないだろうか。

こちらからは以上です。